昨日机の上を見ると、新聞各社のコラムを1日分集めたプリントが置いてありました。「また、どうせ保険屋のおばちゃんが置いていったのだろう」と思って裏を見てみると、日報でした。3年の受け持ちが生徒用に配ったプリントの裏紙に、廃物利用で翌日の日報を印刷したようです。
その紙には、「今、世界の中では何が起こっているのか。新聞のコラム記事を切り抜いたものです。小論文対策にも活用できます。」と書いてありました。
各社の記事を1日分まとめて通読してみると、とっても面白かったので、ご紹介します。
あなたはどのような感想をお持ちですか。聞かせてくださればおもしろいですね。
コラムについて、言いたいことはこれまでの記事で書いてきたので、一々の文章について詳細に解説することはもうしません。
「文章の構成1」
「文章の構成2」
「文章の構成3」
「文章の構成4」
「コラムの文章の特徴」
「コラムの文章の長さ」
=========================================================
朝日新聞 天声人語 H20.12.18(木)
****************************
水面に染料を流し、模様を整えたところに紙や布をかぶせて写し取る画法がある。昔ながらの墨流しを発展させたものだ。千変万化、偶然が織りなす二度とない絵は一期一会の心にも通じる▼いずれ政界再編の絵になるのか、永田町に大波小波が立ち始めた。要人が会うたび語るたび、新たな一石が投じられ、大小の水紋が広がる。近いところでは、公明党との選挙協力を見直すかのような古賀誠・自民党選対委員長の発言だ▼小選挙区は自民、比例区は公明へというのが協力の現実。ところが古賀氏、各派の面々に「180ある比例区をみすみす渡していいのか」と語気を強めたらしい。この石は大きい。水しぶきを浴びた公明幹部は「こちらがあげる票の方がはるかに多い。どういう計算をしているのか」とむくれた▼妙な水音をたてた石もある。与野党をまたぐ鳩山兄弟のやりとりだ。民主党幹事長が「弟から政界再編をやろうよと言われた」と明かせば、総務相は「個人的な会話をすぐ外でしゃべるのが兄の癖。非常に困る」と応じた。現職閣僚、それも首相の側近が、野党幹部に新党を持ちかけたことになる▼古賀氏があえて投じた大石と、鳩山兄弟の電話口からこぼれた小石。どちらも、現下の政界勢力図が長くないと読んでの言動に見える▼濁り水に泡沫(うたかた)の時を切り取る「永田池」の水紋画。与党の岸で石の投げ合い、染料の流し合いがしばし続き、来るべき総選挙に前後して新たな絵が浮かぶのだろう。茶会の心得、一期一会を引き合いに出すには水が生臭すぎるが。
=========================================================
毎日新聞 余録 H20.12.18(木)
************************
江戸っ子はゴシップ好きだ。文政年間、津軽の殿様が輿(こし)に乗って登城したのを公儀にとがめられると、長唄や手まり歌にしてからかった。果ては当時はやった風邪まで「津軽風」と呼ぶ。「しそんずると輿に乗る」−−葬儀の輿とからめたブラックユーモアだ▲多くの死者の輿を出した江戸時代の流感だが、当時の人々はその流行を時々のはやり物の名をつけて呼んだ。城木屋お駒の浄瑠璃があたった安永年間の「お駒風」、八百屋お七の小唄がはやった享和の「お七風」、ねんころ節が流行した文化年間の「ネンコロ風」といった臭合だ▲その他にも「稲葉風」「アンポン風」「ダンホ風」など命名はバラエティーに富んでいる(富士川游著「日本疾病史」東洋文庫)。どんな時もやじ馬精神を失わぬ江戸っ子の心意気をうかがわせるが、この風邪は今でいうインフルエンザだ▲国立感染症研究所はきのう全国的なインフルエンザの流行が始まったことを発表した。報告が多いのは山梨県、山口県、福井県、兵庫県、北海道の順で、ウイルスは5割近くがA香港型という。この10年間では昨年に次いで早い流行開始だ▲結果的に患者数が少なかった昨年の例が示すように、必ずしも流行の早さと大きさは連動するわけではないらしい。感染研では来月の下旬以降に予想される流行のピークにむけてワクチンの接種や、うがい・手洗いの励行を呼びかけている▲何かと気のめいる世相の中で迎えるインフルエンザの季節だ。負けん気の強い江戸っ子ならばこういう時こそとびきりの風邪の名をひねり出すところだが、現代人としての知恵や気働きは大流行の抑え込みの方に注ぎたい。
=========================================================
讀賣新聞 編集手帳 2008.12.18(木)
******************************
遠い昔、路地裏や原っぱで、〈あの子がほしい、あの子じゃわからん〉と歌った方もあろう。子供の遊び、「はないちもんめ」(花一匁)である。〈勝ってうれしいはないちもんめ、負けてくやしいはないちもんめ…〉◆かつて口減らしがおこなわれた貧しい農村から子供を買い集めるとき、「花」(女児)1人につき金1匁が支払われた。中国史家、阿辻哲次(あつじてつじ)さんの「部首のはなし2」(中公新書)によれば、字面も美しい「花一匁」には哀(かな)しい一説があるという◆1匁は3・75グラム、一文銭の重さ(一文の目方=文目)から生まれた単位で、匁という字は「文」と「メ」を組み合わせた形ともいわれる。いまでは真珠の計量以外で用いられることはない◆常用漢字表の見直しで、191字の追加と5字の削除が決まった。「匁」も削られる。「はないちもんめ」で遊ぶ子供を見かけぬようになって、すでに久しい。漢字表からも消えることで「匁」は記憶のかなたにまた一歩、遠ざかっていくのだろう◆1匁とはどれほどの重さであったかと、小銭入れを探ってみる。5円玉はぴったり3・75グラム、1匁である。
=========================================================
山陽新聞(岡山地方紙) 滴一滴 2008.12.18(木)
***************************************
戦後の日本を代表する評論家の一人とされる大宅壮一氏は、造語の名人としても知られた。「駅弁大学」「恐妻」「太陽族」などが有名だが、「男の顔は履歴書」というフレーズも大宅氏の作である。その理由を自著「大宅壮一エッセンス 男の顔は履歴書」でこう記す▼「若いころの顔は、親がつくってくれたもので、自分の顔とはいえない。活気にあふれた中年者や、たくましく生きぬいてきた老人を見ると、よく使いこなされた家具、調度のように、新品に見られない色つやが出ているような気がする」▼男性に限らず、女性も含めた人間全般に共通する指摘だろう。無意識のうちに人の顔は形づくられ、歩んできた歴史が刻まれるようだ▼食品の産地偽装などが相次ぐ中、今度はとんだ不祥事が発覚した。愛知県の食品会社が、中国産の原料を使用したタケノコの水煮などを国産と偽って販売した際、従業員の顔が写った写真を「竹林農家の皆さん」と偽装して商品のパックに掲載していた▼開いた口がふさがらない。食品の安全性に消費者の関心が高まり、「顔が見える関係」を重視する取り組みとして、農家の顔写真を表示する動きが活発化している▼顔写真は生産者の誇りと責任感が刻まれた履歴書といえる。それを偽るとは、悪質極まりない。
=========================================================
コメント
朝日、毎日、山陽は、
事実から学び、
それを一般化し、
時事問題に対する自分の考えや感じたことを述べているようにかんじます。
読売は、
時事問題に関連する事柄を探して、読者に紹介しているように感じます。
一般化というのがよく分かりませんが、「事実」で述べられたことと、「時事問題に対する自分の考え・感じたこと」との関連はどうなっているのでしょうか。
「時事問題に関連する事柄」を、なぜ、時事問題と関連して紹介しなければならないんでしょうか。
うまく説明できないんですけど、僕の言う一般化というのは
ほんの小さな、些細な出来事から
世界がどうなってるとか、世の中がどうなってるとか
一期一会がどうだとか、江戸っ子っていうのはこういうものなんだとか
小さな事柄から、ものすごく広いことに結びつけることで
そのものすごく広いことから、時事問題という狭いものを見ているから
「事実」で述べられたことと、「時事問題に対する自分の考え・感じたこと」との関連はあまりないように感じます。
その文章のスタイルや考え方は、いいかどうかはよくわかりません。
〈「時事問題に関連する事柄」を、なぜ、時事問題と関連して紹介しなければならないんでしょうか。〉
ということですが、
先生は、知識をひけらかしているとか、考えるかもしれませんが
僕は、1匁の重さだとか、ある知識をえると、喜びというか幸せを感じるんですよ
だから、おそらく、知識を、読者に紹介することで、読者が幸せを感じてほしいとか考えてるんじゃないかと思います。
もしくは、俺はこんなに物知りなんだと伝えたいか、どっちかだと思います。
私の感想を、書きました。(http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1028205246&owner_id=14874745)
「時事問題に関連する事柄」を、時事問題と関連して紹介しなければならない理由があるのなら、私はそれを否定したりはしません。時事問題を見るときにその関連知識を知っていれば、視野が広がるとかね。
そういうこともないのに、さも関係があるかのように、関連知識をとうとうと述べることが問題だ、と言っているのです。
「知識をひけらかす」ための文章もあってもいいと思いますよ。しかし、「知識をひけらかしている」と思われた時点で、その目的は失敗している。
文章の主題をきちんと設定しないで、主題を豊かにするために知識を使わないから、そのように受け取られてしまうのです。「中味のことは、本当にはよく分かっていないくせに知識をひけらかす、クイズ的物知り」だとね。
知識を、主題を豊かにする道具としてきちんと活用すれば、「よく知っている」「物知りだ」というだけではなく、「深く物事をとらえている」と評価されるはずです。