大人に対してはズバリとは言えない

 もうずいぶん前のことになりますが、おっさっちさんから下のようなコメント(https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1008286956&owner_id=14874745#comment)をいただきました。
 「コラムについての記事が終わってから」と思っていたのですが、まだ新聞については、一区切りつきそうにありません。そこで、とりあえずここで、この問題についてお答えしておくことにします。

 次回からは、コラムについての話をひとまず終え、新聞の社説について書いてみたいと思っています。

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受験生のみならず、社会人でもとても重要だと思います。

Neko Fumioさんの提示されたルールを守ることは、文章を書くときに最低限必要なことなのでしょうけど、ちょっとでも書き手の気が緩むと、すぐこのルールからはみ出て曖昧な文章になりがちです。

この気の緩みから脱却するためには、「書き手自身の日頃の訓練」に加えて「読み手からの指摘」を受ける機会を書き手が持ち続けることが必要なのかもしれませんね。
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  「『読み手からの指摘』を受ける機会を書き手が持ち続けること」が、自分の文章力を高める上で非常に力になるというのは、おっしゃるとおりです。
 そのような方を持っていらっしゃる方は、とても幸せだといえるでしょう。
 しかし、大人の場合は、他の方に「ご高評」をお願いしたからといって、そう安心をしてもいられない事情があります。

 大人の場合には、「高く持ったプライド」があります。ですから、文章に欠陥があるということを、高校生に言うようにズバリと指摘しても、そのプライドを傷つけるだけで、受け入れてもらうことは難しく、さらにそれだけではなく、人間関係を壊すことにもなりかねません。
 ですから、年長者に対してだけではなく、年少の方に対してでも、はっきりとは本当のことを指摘しないのが普通なのではないでしょうか。
 その上、添削をお願いされたからといって、それを依頼した方が、「本当に自分の文章を心底よくしたいから、とことんどうすればよいか指摘してほしい」というような気持ちで依頼していることも、少ないのです。
 多くの場合、心の底のところでは、自分が書いたものに自信を持っていて、「それでもちょっとなんか足りないような気がするから、文章が分かる者に、『ちょっと』字句の修正をしてもらおう」というような気持ちで、添削をお願いするのです。
 このような場合、本気で添削をしてしまうと、そんなつもりで依頼したのではないので、善意が裏目に出てしまうこともよくあります。

 時々文章を見てくれと依頼されるようなことを長年やっていると、このようなことが分かりますから、私の場合は、大人の文章の場合、高校生に対して接するときのように、文章を見て、足りないところをズバリと指摘して、自分で考えさせるような言い方は、まずしません。
 講師の先生が、教員採用試験対策用の作文を見てほしいと言ってきたような場合でも、簡単に字句の修正をすれば、それでかなりよくなる部分だけの添削と、根本的に書き方がそれではいけないような場合でも、「このようなところをここに入れて、こういう風な流れで書いたら」というような、あまり自分では考えさせる余地のない、具体的なアドバイスにします。
 つまり、実際に作文を書いてあげるわけではないけれど、その流れを、全部作ってあげるわけですね。これ、結構疲れますが。

 このようなアドバイスで、何となく自分の文章がよくはなっても、自分の文章の本当の問題点にはおそらく気がつかない方がほとんどでしょうから、「文章の書き方に目覚めさせる」ということからすれば、あまり効率がいいとはいえません。
 高校生に対するときの様に、ズバッと切ってしまった方が、ショックも大きいが、その分、本質的な理解は深まります。でもおそらく、それは、大人には耐えられない。
 もしかしたら、高校生でも耐えられない人も結構いるのかもしれません。そういう場合も、大人だけではなく配慮がいるのでしょうね。

 また、国語の先生に対して、「あなたの文章は、『言いたいこと』に向かっていく文章にはなっていない」とも言いにくいでしょう。私が、「本気でありったけ悪いところを率直に指摘してほしい」とお願いしても、同じ国語の教員でも、「それなら」といって、本腰を入れて見てくださる方は、おそらくほとんどいません。まして、国語を専門としない方なら、少々おかしいと思っても、まず遠慮されるでしょう。

 ですから、大人になって、文章を見ていただける方を持つのも貴重であり、大切なことなのですが、実際には、そういうことは期待薄であるため、ビシバシ鍛えてもらえる学生の時に、本当のことを言ってもらえる体験をするということが、実は他には換えられない貴重な体験なのです。
 私が、高校生の読書感想文や、就職・進学の作文・小論文を指導する場合には、このような、本質的な文章体験を与えることができる場であると考えて、指導をすることにしています。

 その結果、ズバズバやりすぎて、文章嫌いを増やしていることも、もしかしたらあるかもしれませんが。

コメント

  1. おっさっち より:

    >大人の場合には、「高く持ったプライド」
    確かに同感です。プライドの持ち方は人それぞれですから、対等の関係で読み手が書き手にバシバシ言えるということは難しいそうです。
    私の職場ですと、書き手の文章が承認者(つまり読み手)に承認されるかどうかによって、その文章が社外に出るか否かが決定されてしまいます。
    読み手が書き手に対して企業上の様々な権限を持っているため、ある意味大人といえどももはやプライドうんぬんと言っていられない状況になってきます。
    とはいっても、自分が書いた文章に対して他人から指摘されると、書き手は自分の人間性を否定されたような気分になる、なんてこともあるように思います。
    ただ近頃は、自分の文章を厳しく指摘していただける方がいなくなって、「本当にこれで大丈夫なのだろうか、意味不明な文章になっていないだろうか」と不安になったりすることもしばしばあります。こうなると限られた時間内で自分の文章を自己否定していくほか方法がないという状況です。

  2. coco より:

    足あとから来ました。
    原稿を書くお仕事をしています。
    とても興味をもちました。

  3. 阿井植夫 より:

    どもどもです。
    足あとから来ました。
    小説などを書いております。
    よろしかったらいつでも遊びにきてくださいね。
    じゃっ

  4. xavier より:

    足跡から来ました。はじめまして、xavierと申します。
    興味深いお話です。
    文章に限らず、大人はダメだしに弱いですよね。
    ここは直した方がいい、または間違っているのでは?という指摘をするのは勇気がいります。殆どの場合、実行せずに終わります・・。

  5. Neko Fumio より:

    おっさっちさん
     他の方の文章に対して、「こうした方がいい」というのは、「対等の関係」ではなく、上からの立場で言うことになるので、よけい難しいです。
     「大人といえどももはやプライドうんぬんと言っていられない状況」というのは、納得します。このような状況に置かれて、厳しい訓練を積むことで、多くの場合は、仕事をする中で、成長させてもらえるのでしょう。
     高校や大学などとは違って生活がかかっていますから、みんな本気でやりますしね。
     しかし、「書き手の文章が承認者(つまり読み手)に承認されるかどうかによって、その文章が社外に出るか否かが決定されてしま」うような場合は、文章のできそのものもさることながら、評価者の「文章を見る目」にも大きく影響を受けるでしょう。
     厳しい指摘を受けても、それが尊敬に値するものなら、がんばる気にもなれますが、「どう考えてもおかしい」「自分の方が正しい」様に思う場合には、「自分の文章観」と、仕事上の立場とで、相当苦しいことになりそうです。
     特に、自分の各文章にこだわりを持っている場合には。
     「限られた時間内で自分の文章を自己否定していくほか方法がない」というのは、いつの場合でも、誰にでも当てはまる、最良の文章上達法だと私は思っています。
     他人に頼っていては、結局他力本願で、そこまでのところまでしか到達できないのではないでしょうか。

  6. Neko Fumio より:

    coco さん、阿井植夫さん
     コメントありがとうございました。これからもよろしくお願いします。

  7. Neko Fumio より:

    xavier さん
     「文章に限らず、大人はダメだしに弱いですよね。」
    というお話は、おもしろかったです。
     本当に、子どもをしかってばかりいるのに、同じように接せられると、たぶんもうめろめろでしょうから。

  8. ねこまくら より:

    初めまして。
    足跡をいただきましたので、伺いました。
    とても楽しく読ませていただきました。
    私などは、文章に限らず普段の会話まで、ひどく支離滅裂だと、まわりから言われます。私のように指摘されやすい性質を持つのも、辛いものです。ありがたいことではありますが。

  9. Neko Fumio より:

    ねこまくらさん
     はじめまして。
     みんなから、いろいろ気遣っていただけるのは、人柄だと思います。ありがたいことですね。

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