教科書の文章もおかしなものがたくさんある

 なッぱ 7っ8さんからコメントをいただきましたので、それについて書いてみます。

そうですね。。。教科書が一番のお手本ですね
それは、大学でもかわりません

 朝の記事で書いたのは、あくまでも、文体の話です。しかも、全体的なイメージの話で、個々の文章についてお手本にしようということではありません。
 話言葉に近い文体ではなくて、書き言葉で書く。その身近なお手本が教科書ということです。
 ただ、でもねえ、文章の整理ということになると、教科書に取り入れられた文章って、意外ときちんと整理されていない文章は多いんです。


 こんなのはどうでしょう。
  https://www.syouron.com/nyuumon/2007/02/post_34.php
 これほどではなくて、ちょっとしたところが分からないのなんて、ざらにありますね。
 それと困ったことに、天下の教科書なのに、文体の面でも話言葉が取り入れられていたり。

 うちの小学1年生のぼうずの国語の教科書ですが、「~(して)いたんだ。でも、~いたんだね。」というような文章が結構出てくるんです。
 小学生だから、親しみやすいように、わざとこういう話言葉のような調子を入れるんでしょう。その方が、文章を書くのに、抵抗感を薄められるだろうと。
 しかし、そんな、了見だから、「話言葉と書き言葉とは違う」という、もっとも大事なところが抜け落ちてしまうんです。

 うちのぼうずに作文を書かせると、文末はいつも、「~したよ。」としたがります。たぶん、学校で先生がそういう風に書けと指導しているんでしょう。
 うちの奥さんも、「学校でそう習っているのだから、そういう風に書かせろ」とうるさいですが・・・。
 私が見るときには、必ず、「~した。おもしろかった。」という風に書かせます。

 最初が書きやすいからと、「~したよ。おもしろかったよ。」というような文章を書かせておいて、高校生か、大学受験の頃、いきなり「それじゃあ、だめ」と宣告されるんです。
 いつから、どうやってそれを変えていくんでしょうか。

小学生は小学生なりの本質的な思考訓練を

 小学生は小学生なりに、幼くてもいいから、きちんと「話言葉とは違う、文章用の言葉を使わなければならないのだ」という意識を育てることは、とても大切だと思うのですが。

 英会話などでも、文法から学んでも話ができないからといって、内容のない会話だけをやらせる。
 国語の作文では、書く内容が思いつかないからといって、同窓会の案内文だとか、中身のない文章を書かせる。
 ディベートだとかいって、思考が深まらない浅いところで、議論をしたといって喜んでいる。

 これらすべて、「難しいからその本質を避けたところで易しくして、ぬるいことでお茶を濁して、やったつもりになって満足している。」そういうことだと私は思います。

 別に自慢じゃあないですが、うちのぼうずに、

「なにをしたかなあ?」
「それで?」
「どんなかんじがした?」
「どうしてそんなかんじがしたのかなあ?」

と聞きながらできていく文章というのは、おもしろいですよ。
  多分に親ばかですが。

 子どもは子どもなりに、大人は大人なりに、「自分が漠然と感じていることを、もっといろいろあれこれ突き詰めて考えて、それを言葉にしてみる」というのが大切なんです。
 そうしたときに、子どもは子どもなりに、大人にはできない発想で、普段何となく感じているのとは一段深い、おもしろい文章を書くのではないでしょうか。

 今の世の中、「ゆとり教育」など、目先の中身のない主張が多いくて困ります。
 そういうことしか言うことのできない輩(ともがら)に、教育のことなどいじってほしくない。

 切なる願いです。

本当に大切な当たり前のこと

 わたしの言っていることは、当たり前のことですよね。わたし当たり前のことしか言いません。
 特別なノウハウも、手品もありません。

 ですから、他の誰も作らないから、
作文の教科書を作っても、、誰も見向きもしてくれません。
 まあ、私の本はどうでもいいですが、せめてこの文章を読んでくださっている、ご縁のあった方には、お為ごかしで、本当は全く役に立たない、まやかしの発想にだけは、ごまかされないでいてほしいと思います。

 勢いで書いてしまったので、何か文章が流れていってしまったかも知れません。

 教科書について全く書かなかったので、もしご要望があれば、次回書いてみます。 

コメント

  1. たかちゃん より:

     ねこさんの文章を読みながら、ここ数日の私の行動を振り返りました。仲のよい友人からメールが頻繁に来るのですが、文章を読むと言いたいことは理解できます。ですが、もう40歳直前なのに、文法も何も無い・・・恥ずかしい文章なんです。メールって、送る側本人がその時の感情に任せて文字を打ち込んで送信するのでしょうけど、受け手が同じ感情でいるわけではなく・・・ましてや受け手が冷静な感情で受信したとすると軽くパニックになるんですよねぇ・・・。
     と言うわけで、最近、彼女のメールを校正して返信するようにしています・・・メールで「文章講座」をしている、とイメージしていただければいいかと思います。
     思いが伝わることは必須ですけど、やはり相手がどんな状況でこのメールを受信するのかも考えながらメールしないとなぁ・・・と思う今日この頃です。ちょっと脱線しましたかね?

  2. なッぱ より:

    丁寧な説明ありがとうございます
     確かにそうです。私が教科書であったり論文集をお手本とするのは、普段使い慣れていない「書き言葉で書く」ということを吸収するためですね

  3. Neko Fumio より:

    いえいえ、どういたしまして。
    また機会があったら、大学の先生が書いた教科書の悪口や、
    基本文献を読むことの大切さについて
    書きますね。 

  4. かじ より:

    初めまして! うちの娘は、現在小6で、小2の担任の先生が、小さい内から、作文を書かす事は、大切な事!と、言って、 毎日日記が宿題でした最初の頃は、何を書いていいか分からない様子でしたが、毎日書いている内に、自然に自分の思った事!感じた事などを、素直な気持ちで書くようになりました。 でも、卒業文章で、余りにも素直過ぎて、 学校が嫌いだった! とか、低学年の頃は、運動会も楽しかったけど、高学年になるにつれて、うっとうしく思えるとか、書いてますやはり、小さい頃から日記を書かせるとゆうのは、いい事なんでしょうかぁ?余りにもの卒業文章の内容なので親として、一生の宝物だから、もう少し考えてくれたらいいなぁ〜と、思うのですが?

  5. Neko Fumio より:

    かじさん
    初めまして。
    やっとご返事を書きました。
    https://www.sakubun.info/?p=158
    長くなりましたけど。
    こんなことをご返事しようと思いながら、
    なかなか書けないでいました。。

  6. ひまわりなつこ より:

     話し言葉風作文っていうのは、たしか小学2年生くらいだったかなあ。
     4年生になると、起承転結みたいなものが入ってくるはず…
     大事なのは、読み手が誰かってことを意識させることではないかと思います。
     私は、子供にそんな風に伝えてきました。

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