国家のありかたを論ずる

 質問をいただきました。急ぐ質問のようですので、「文体」についての話題の途中ですが、間に挟んでここで考えておきましょう。

いきなりメッセージすみません。今大学受験のために小論文を書いています。○○市立の看護科を受けるのですが、小論文を書いていて、添削された時に「これにはちゃんと根拠があるのか」と言われました。
例えば「治癒を目指す患者よりも症状管理を必要とする患者が増えてきている。」や「急性疾患患者の多かった時代は…」などなど…
抽象的なものを説明するのはわかるのですが、こういったことは書いてはダメなのでしょうか?
あと対策を論じる時に国家計画などの大掛かりなものとして論じるよりも、身近な対策として論じるほうがいいのでしょうか?
少し言われたことについて疑問をもったので、質問してみました!もしよければお返事下さい♪

根拠もないのに「常識」で決めつけない

 「昔は」「今は」とか、「日本は」「アメリカは」とか、根拠もなく本当かどうか確かめてもいないのに、そういう常識があるだろうという筆者の思いこみでこういう比較を持ち出すことがよくあります。
 もし本当に根拠をもって、自分の観察に基づいてそういうことを言おうとしているのなら、「昔は」というような曖昧な言い方ではなくて、もっと具体的に、いつ頃までは、ということをきちんと把握しているだろうし、そういう言い方で決めつけたことが、本当に、「今と昔」、「日本とアメリカ」の違いとして言えるのかということも、自分自身できちんと検証しているはずだから、それを読者を納得させるような何らかの記述が入らないはずがありません。
 ですから、そのような指摘を受けたとすれば、自分が、「当たり前でしょ」という、何の根拠もない「筆者の常識」、「世間にそういう風に普通に信じられているだろうという筆者の思いこみ」を文章にしているだけだったのではないかということを、もう一度振り返ってみた方がよいでしょう。もしそうなってしまっているのなら、それでは、文章が全く説得力のある何かを主張していることにはなりませんので。

 このような比較をするときには、「どうしてそういうことが言えるのか」「その根拠をきちんと説明できるのか」を、自分自身もう一度問い直してみましょう。
 もしこういう自問自答にきちんと答えられるのなら、その全部を文章に書かなくても、読者に自分の考えを納得してもらうように、説得していこうとする限り、根拠を持って考えていることを感じさせる何らかの記述がどこかに必ず、入ってくるはずです。

発想の具体例

 もっと具体的な説明が必要ですか。

 本当に今は「治癒を目指す患者よりも症状管理を必要とする患者が増えてきている」のでしょうか。昔は「症状管理を必要とする患者」は少なかったのですか。昔もたくさんいたのに、今になって「症状管理を必要とする患者」に目がいくようになってきただけではないか。それなら、なぜ今になって・・・。

 「急性疾患患者の多かった時代」って、いつなのか。今はこれ本当に多くないのか。同じだけいても、他の原因で入院してくる患者の方が増えたのかも知れない。それはなぜ・・・・
 今減ってきたのなら、なぜ減ってきたのか。減ってきたことが物語るものとは・・・。

 というようなことを考えていくと、そのように簡単に決めつけることで、ものがよく見えなくなってしまっていることが分かるはずです。

国家の大計を論じよう

 質問の2番目の件については、「自分は国家の大計など論じることのできる立場ではない」というような気持ちになってしまいがちです。しかし、我々はみんな有権者として、国家のあり方に責任を持たなければならない立場なのですから、自信を持って国家のあり方について論じるべきです。
 「責任ある人はそうしてほしい」というのは、結局、「自分は責任を持てないから、知りません、何もしません」と言っているのと同じなのです。それでは、到底、責任ある大人の作文とはいえません。
 そういう意味で、新聞の社説のような主張の仕方を、絶対にまねてはいけません。

 国家のあり方を論じないで、個人的なあり方を論じようとすれば、いきおい、中学校の道徳の時間に、本当はそんなことを実行する気もないのに、みんなで口を合わせて答えたような内容を書きたくなってしまいませんか。
 でもそれでは、みんな実行する気のない「きれいごと」です。そんな建前など、大声で主張すればするほど、「あなた、本当は行動する気もないくせ、大まじめで、よくそこまで言いますね」という感想を抱かせるだけです。
 その点、家庭科の資料集などを元に作文を書くと、国家のあり方にあまり重点を置かずに、個人のあり方に焦点を当てていますから、いきおいこういう論調になってしまいがちです。
 個人の努力だけを論じて、読むに値する内容を書こうとすれば、「みんなが口を揃えて答えるのに、そのように行動しないのはなぜか」というような視点から、考えて文章を書いていかなければならないので、社会的な視点から事を論じるよりもはるかに難しくなるということは、知っておいた方がよいでしょう。

机上の空論に陥ったらだめ

 ただし、「国家の大計を論じる」といっても、抽象的な思考を振り回して、自分の生活とかけ離れたところで、立派なことをとうとうとまくしたてても、やはり白々しい理想論になるだけです。
 抽象的な、国家の大計を論じながら、それがどこかで自分の生活感覚ときちんとリンクしていくような、そういう発想を常に心がけていかなければいけません。
 抽象的なことを考えながら、自分の現実生活の例を思い浮かべる、自分の現実生活の例を思い浮かべながら、抽象的な思考にまで昇華させる。文章を書くには、こういう思考のプロセスが不可欠です。

コメント

  1. ひまわりなつこ より:

    わかりやすくて感激しました。早速活用させていただきます。

  2. ちょろ より:

    ありがとうございます詳しく教えてもらいさすが国語の先生だと感動しました

  3. Neko Fumio より:

    ひまわりなつこさん、ちょろさん
     どういたしまして。
     そういう風に言っていただけると、ちょっと恥ずかしいです。

  4. Neko Fumio より:

     ここに説明していることについて、皆さんが陥りそうなことは、すべて、『ねこの小論文・作文講義』(http://www.syouron.com/nekoron/)、『超入門』(http://www.syouron.com/nyuumon/)に書いています。
     上の説明を読むときに、関連記事リンク先があるものは、できるだけ、それも読んでおいてくださいね。
     また、私のホームページを使った作文・小論文の勉強の仕方についても、以前書きました。
    http://mixi.jp/view_diary.pl?id=691264976&owner_id=14874745
     看護特有の作文については、改めて機会があれば取り上げたいと思います。
     関連事項について、一部こちらでも取り上げています。
    http://www.syouron.com/nyuumon/2005/12/post_12.php