小学生は小学生なりの思考の深まりを

 前回の記事を書いてもまだ何とか寝ないで持ちこたえているので、もう一つ書いておきますね。

 2008年01月8日の日記に、こんなコメントをいただいていました。

初めまして!
うちの娘は、現在小6で、小2の担任の先生が、小さい内から、作文を書かす事は、大切な事!と、言って、 毎日日記が宿題でした最初の頃は、何を書いていいか分からない様子でしたが、毎日書いている内に、自然に自分の思った事!
感じた事などを、素直な気持ちで書くようになりました。
でも、卒業文章で、余りにも素直過ぎて、 学校が嫌いだった! とか、低学年の頃は、運動会も楽しかったけど、高学年になるにつれて、うっとうしく思えるとか、書いてますやはり、小さい頃から日記を書かせるというのは、いい事なんでしょうかぁ?余りにもの卒業文章の内容なので親として、一生の宝物だから、もう少し考えてくれたらいいなぁ〜と、思うのですが?

 私は、小学生を教えた経験はないので、高校生に作文を教えていて考えていることと、今現在進行形で、うちの7歳の坊主を見ながら感じていることを書いてみることにします。


 小さいうちから、文章を書かせて、それが苦にならないというのは、絶対的な財産です。
 苦にならなければ、また書こうと思いますから。

 前々回の日記で、

 うちの7歳の坊主に作文を書かせる時、感想を聞くと、「おもしろかった」で終わってしまいますね。
 「どこが面白かったん」「どういうこと思ったん」としつこく聞いていくと、「なんで、面白かったじゃあいけんのん」といって、かんしゃくを起こしてしまいます。
 それは、普段誰もが、自分に起こっていることについて、「どこが面白かったん」「どういうこと思ったん」と、振り返って考えていないから、そうなって当然なんです。

 このように、「おもしろかった」「よかった」としか表現できない子がほとんどな中、自分の気持ちを苦にならずに表現できるとしたら、それはそれで、とてもすばらしいことではないでしょうか。
 小学生の段階では、ある程度つながりのある長い文章を書くこと自体が大変なことですから、それは、多分それだけでも評価される場合が多いだろうし、当然、評価されるべきなんでしょう。
 ただちょっと気になるのは、「素直な気持ちで書く」という部分ですね。
 「たのしかった」「面白かった」というレベルの、深まりのないところで、素直な気持ちを書いた文章を、たぶん、「子どもだから、これぐらいの浅い思考で、しょうがないんだろう」というようなあきらめに似た見くびった考えで、評価するのは、やっぱり違うんじゃあないでしょうか。
 そのような「素直な気持ちを書いた文章」というのは、本当に、

「どこが面白かったん」 「どういうこと思ったん」 ということを 突き詰めて、 漠然と感じていることを、 はっきりさせていく

作業の中から出てくる文章と同じレベルでしょうか。
 似たようなことを書いてはいても、私はやっぱりこれ、違うんじゃあないかと思います。
 子どもの素直な直感と言い、大人ではまさか考えつかない発想と言い、その大切にしなければならないものは、何も考えずに、思いつきで子どもの口から出てくる、「たのしかった」「うっとおしかった」とは違うはずです。
 書くことが苦にならないというハードルをクリアしたなら、それを嫌にならせない工夫をしながら、さらに体験を深くとらえさせるための工夫がやっぱり必要だと、私などは考えます。
 というより、それを別々にして考えるのではなくて、子どもと問答をしながら、自分の答えさせたい方に、子どもの文章をねじ曲げていくのではなくて、ちょっとでも子どもの考え、感じ方が具体的に分かるように、内容を深めるための質問をしながら、文章をそこで書きながら、導いていくというような感じですか。
 子どもはすぐに

「なんで、面白かったじゃあいけんのん」「自由に書かせてくれん。」とかいって、 かんしゃくを起こします。

ですから、そんなかんしゃくを起こさせないようにしながら、ちょっとでもつっこんだ文章を書かせる工夫ですよね。
 それがいるんじゃあないでしょうか。

 もし「小学校が嫌いだった」「運動会がうっとうしかった」と書いても、それは、なぜかということがきちんと書いてあれば、大人が喜ぶかどうかは別にして、大切にしてあげればいい。
 でも、それがただ、「嫌いだった」「うっうしかった」という、ただそれだけのレベルでとどまっているだけのものだったら、やっぱりそれは、そのような文章が書けたからといって、満足させてはいけないのではないでしょうか。
 大人が同じようなレベルの思考で文章を書いたら、それは単なるバカですから。

 実際、中学生ぐらいまでは、ちょっと思いつくことを、思いつく端から、思いつく順番で書いていて、何とか認められてきたのに、高校生ぐらいになって、「まともな文章、
言い換えれば、論理的思考を展開させた文章を書きなさい」といきなり言われて、どうしようもなくて、投げ出してしまう子は多いんです。
 小学校や、中学校までで、そんな文章で褒められてきたのですから、どうしていいか分からなくなっても、むしろそれは当然なんじゃあないでしょうか。

 まあ、こんなことを書きながら、この区別、ここで口で言うほど簡単じゃあないだろうな、と感じています。
 それと、大人が、子どもの本来の素直な感性をねじ曲げずに、深く表現させるようにし向けるのは、かなり難しいだろうなとも。

 親ばかついでに、うちの坊主に、11月に、ほとんどとおちゃんが書かせた、そして、
作文がうまいと言って子どもをほめあげている作文(日記)を恥ずかしげもなく、載せてみましょうか。


きょうはおとうさんと
おかあさんとぼくの3
人でサイクリングにいっ
た。
 けいとらがみぞにおちて
しまって、うごかなくな
った。なかなか出なくて
くろうした。みんながた
すけてくれて、やっとで
た。よかった。

 きょうは、あさごはん
をたべてかえりがけにハ
ーレーダビッドソンの
1941年せいのオート
バイを見ました。ブレー
キランプのいちがかわっ
たところにあってとても
めずらしかった。

 この日記、いかがお思いになりますか。

コメント

  1. まさっぴ より:

    私も文章が書くことが苦痛じゃないというのは一つの財産だと思います
    そして卒業文集ですが、私の2人の娘の先生はきちんと添削し、その時に何を書いてもかまわないけど何十年も後で読み返したとき楽しい気持ちになれる事を書くと良いねとお話していたそうです。
    先生にご相談しても良いでしょうね
    息子さんの日記可愛くて拝見していてホットするような文章ですね

  2. Neko Fumio より:

    その通りだと私も思います。
     作文お褒めにあずかり
    ありがとうございます。
    親ばかついでに画像もUPしました。
    ダブルクリックして、
    絵も見てやってくださいね。
    画像の位置を変える方法が分からなくて。 

  3. たかちゃん より:

     うちの子は小学一年生ですが、決して文章書くのが
    得意ではなく、ロボット作ったり計算問題をやったり
    するほうが活き活きしている・・・そんな子です。
     でも、担任の先生が「作文を書く」ことを推奨して
    テストの答案の後ろにちょこっとした文章を書いて持ち
    帰ってきます。
    *************************
     「さんすう」
     
     ママは、「あっくんはさんすうがよくできるね」と
    いってくれるけど、ほんとはひきざんがちょっとにがて。
    *************************
     こんな文章を書いてきました。思わず笑ってしまいま
    した。「いいじゃん!わが息子♪」ってな感じです。
    親ばかですか?・・・いいですよね、親ばかで。

  4. まさっぴ より:

    いやー可愛いです。
    わが娘もこんな頃があったんですよね
    これからも時々うかがいますので、他の作文も見せてくださいませ

  5. Neko Fumio より:

    たかちゃんさん
    やっと返事を書きました。
    https://www.sakubun.info/?p=163
    まさっぴさんありがとうございます。
    ぐずぐず言い出すと
    手に負えなくなって、
    そういう時があったことをすっかり忘れていますが、
    やっぱり、
    こんな頃があったんですよ。
    どうやったら、
    これをねじ曲げてしまわずに
    うまく伸ばしていけるんでしょうねえ。
    伸ばしていると同時に、
    一方で、
    みんなでよってたかって
    ねじ曲げてつぶしているという
    現実もあるわけで。
     また、皆さんの
    お役に立ちそうな
    作文がありましたら、
    紹介してみたいと思います。

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