日記を書こうとする気持ちが分からない 2

 前回の記事、「日記を書こうとする気持ちが分からない」に、BLADEさんから、下のようなコメントをいただきました。
 本当は、記事の後ろのコメント欄にこれを書く方が、内容のつながりが分かって、いいと思うのですが、コメント欄は書き直しがきかず、使い勝手が悪いので、新たなページにしてみます。

日記を読んで、Neko Fumioさんがネットをどのようにとらえていらっしゃるか、ということがよく分かりました。
自分が書く意見も、たくさんある意見の一つだととらえてください。

>もしかしたら、「あなたは自分のことを、理解してもらいたいなどと思ってもいないのかも知れないと、考えを変えました。
「理解」は求めていません。求めているのは「意見」です。自分の意見が承認されることで、理解を得られた、と感じる方もおられるかもしれません。ただ「理解」だけでは自分は物足らないんですね。「意見」があることで、自分の考えが醸成されるのではないか、という立場です。

>「類は友を呼ぶ」
このことばは、ネットのことをよく表していることばです。検索をかければ必要な情報が出てくる時代です。ネットを通じて、似たような人たちが集まるのです。コミュニケーションは身の回りの人たちとだけ、おこなうのではないです。ネットを通じて、距離と時間を超えていろんな人たちとコミュニケーションがとれ、いろんな情報にアクセスできます。今こうしている間にもネットには膨大な情報が蓄積され続けています。
身の回りの人たちとコミュニケーションがうまくとれない人もいることでしょう。極端な話、自分を理解してくれるひとがいないから、自ら命を絶ってしまう人がいます。たとえ、ネット上の相手の理解であっても、理解を示すことで命を救えれば、それはそれでいいんじゃないかと思います。
「類は友を呼ぶ」はプログラマーが作る、無料のソフトウェア=オープンソースの世界では非常に有効な手段なんです。「まつもとゆきひろ」という人がいます。この方は「Ruby」というプログラミング言語を開発しました。その開発過程は個人で行ったわけでなく、ネット上で「Ruby」を公開し、世界各国のプログラマーが手を加えて今の「Ruby」が完成しました。
「類は友を呼ぶ」で集まったコミュニケーションは必ずしもネガティブではない、という例を紹介しました。

>あなたが文章を公開しているのは何のためですか
上に書きましたように、自分の文章に対し、「意見」をいただくことで、自分の考えをステップアップさせたいからです。

 やっぱり、ちょっと思いをばーーと書いたぐらいでは、なかなか考えていることが伝わらないのかな、というような気がします。
 反感を抱かせるようなテーマですし、たぶん私自身の考えの整理が、まだまだついていないからだということもあるのでしょう。


 たぶんいけないのは、「日記」という言葉を使ったからかもしれません。
 前回の文章は、毎日のいろいろな体験や目に触れたことの中から、話題を見つけ出して、そのことについて感想を書き付けていくという意味の日記全てを、「それを書く気持ちが分からない」と、言おうとしたんじゃあないということですね。
 そういう意味の日記なら、わたしのこの文章だって、皆さんから寄せていただいた文章を受けて、自分の考えを書きつずったものだから、日記といえるかも知れません。
 mixiの場合は、フォーラムにしない限り、日記と呼ばれる所に記事を公開していくわけですし。
 BLADEさんの日記もそういう意味の日記ですね。
 ただ、BLADEさんの日記は、その記事が対象とするそれぞれの内容について、自分の考えをある程度客観化して整理していく中で、それに対する自分の立場というものを明らかにしようとする努力があると思うんです。
 つまりそれは、自分のその時の感情や体験を、未整理のままぶつけていく、私が「書く気持ちが分からない」という日記とは、本質的に違うということです。
 別の説明をすれば、これらの文章は、ここではたまたま、日記の形になって、皆さんの前に示されているけれども、何も日記の形でなくてもいいものですよね。
 つまり、書かれた日記の文章の、一つ一つが、独立した文章として、主張を持っているし、それによって伝えたいことがある。
 そのような文章は、私のように、「自分の文章を読んでもらいたい」でも、BLADEさんのように、「自分の文章に対し、『意見』をいただくことで、自分の考えをステップアップさせたい」でも、読んだ方が、それを受け取って、答えてくれる要素があると思います。
 でも、そういう風に、書く内容に対して、それを何らかの意味で、一つの対象として、 自分がとらえた像を伝えようという努力をしない、ただの印象や、移りゆく心情を、時の流れのままに書き付けていって、そういう「日記」を、どういう人が、どういう気持ちで書いて、どういう気持ちで読んでいくのかとそういうことを疑問に思っているわけです。
 そういうことを、前の私の文章では、「どろどろを、どろどろのままじゃあ、誰もそれをきちんとは受け止めませんよ。」というように表現したわけです。

 私も検索エンジンの有効性はよく知っています。
 1ページ目に表示されるのと、2ページ目に表示されるのとで、どれだけ検索される頻度が変わってくるのか。検索エンジンに登録されていない陸の孤島のようなページは、存在しないのと同じだということも。
 この検索エンジンで何か記事を探すとき、皆さんは何を期待して、検索するでしょうか。
 検索する人が求めているのは、あくまでそれぞれの内容を書いた記事であって、それを書いた人に興味があるわけじゃあないんです。
 もともと、それを書いた人など知りもしない状態で検索をかけて、ヒットした文章の内容に引かれて、その人の文章をいくらか読んでいくうちに、それを書いた人にも興味を持っていく。
 そういう流れなんです。
 何か内容について興味を持って、それについて書いている方同士がつながりを持っていって、最初書いている内容についての興味だったものが、やがて、それを書いている人への連帯感・興味につながっていく。
 こういうことですね。
 Rubyのことを紹介してくださって、私もこの言語については、初めて、ちょっと調べてみました。
 まあ私も、嫌いな方じゃあないので、パソコンのことは少しは知っているんです。普の程度の分かり方の人以上には。
 昔まだウインドウズになる前には、いくらかの言語で、自分で使うためのちょっとしたツールを作ろうとして、勉強をしたこともあったので。
 で、このRubyを作成する集団のような「類は友を呼ぶ」というのは、確かにインターネットのとても有用な面ですね。
 でも、このような集団は、何も人間的な興味で集まったものじゃあない。
 有用な言語・ツールを作ろうとして集まった集団ですよね。
 他に意見でもいい。何かに対する意見があって、趣味があって、その意見が同じ者同士が、リアルの世界では、なかなか時間や場所の制約があって集まれない者同士が、インターネットという手段を使って、交流を図っていく。
 こういうことが可能になったのは、インターネットがあってこそですよね。
 私が作文について、こんな文章を書いて、皆さん様々に反応してくださるのも、同じことです。
 自分の周りだけの人を相手にしていたら、全く話相手がいないわけですから。
 これは、とてもすばらしいインターネットの使い方だと思います。

 でも、私の文章を皆さんが読んでくださっているのは、私という人間に初めから興味を持って、ではないわけですよね。
 いろいろNekoが書いていて、その書いていることが皆さん気にかかって、色々コメントを書いてくださるわけです。
 極端な話、それを書いているNekoという人物のことなどは、あなたにとってはどうでもいい。
 だから、私がここで、昨日どんな会話を子どもとしたか、何を食べたかというようなことをくどくどと書き出したとしたら、私の文章から皆さんが離れていくのは時間の問題です。
 みなさん、私の書く「文章についての内容」に興味を持ってくださっているんですから。
 だから、私は子どものことを書くのでも、皆さんの興味を持ってくださることに関係があるようにそれを出していくんです。
 このような形で、「類は友を呼ぶ」というようなつながりを形成していくインターネットの世界で、もし、自分の書くことを、あまり客観化しないで、自分の日々の日常や・移りゆく心情を縷々(るる)書き付けていく、つまり私が前回の記事で問題にしているところの「日記」を書いていくとどういうことになるんでしょうか。
 内容を求めている人は、みんなパスしていくから、結局は、内容を客観化できないで、悩みをぶつぶつ言っている、そういう人間ばかりが、「類は友を呼ぶ」で、何となくにおいを嗅ぎつけて、寄ってくるという、そういうことになっていくんじゃあないかと、そんなことを思ったわけです。
 初めから、人そのものに対する興味を持って、インターネットの中を探していくという様なやり方は、まず、普通みなさんやりません。
 そういうところに持ってきて、何を伝えていきたいかというような、伝えたいこともはっきりしない「私のいわゆる日記」を書いていくのは、望み違いなところで、「心の真の友」という魚を釣ろうとしているようなものじゃあないかと、そんな気がします。

 あなたは孤独ですか。
 実は、私は孤独なんです。
 それを、この前メッセージでちょっと書いたら、「妻もいて子どももいて、そのようには見えないのに何でですか」と聞かれてしまいました。
 なんでっていわれてもねえ。あまり、立ち入ったところまで、説明したくはないわけですが。
 私は、この自分は「孤独」だという認識があるから、子どもが「とおちゃん、とおちゃん」といっていつも寄ってきてくれるのをかけがえのない大切なものだと感じているし、リアルの世界で、何かちょっとした気遣いをしていただくと、それをとてもありがたいものだと感じていけるのだと、そのように感じています。
 だから、日常のリアルの世界でも、孤独に沈んでしまわずに、なんとかやっていける。
 でも、
>身の回りの人たちと
>コミュニケーションがうまくとれない人
が、ネット上だけでもいいから、何も、他の方に示す自分なりの何物かを持たないまま、ネット上に理解を求めていくようなことをするのは、いかがなものでしょうか。
 確かに、それで救われる命なら、それはそれでいいんです。やる価値はある。
 でも、そういうことをやろうとしている自分の危うさはやっぱり知っておいた方がいい。
 私はそのことを言おうとしているだけなんです。
 私の言うところの「日記」を書いて、それで、救われるのなら、それも有りでしょう。だれも、それをとやかく言う筋合いはないし、文句を言う必要はないんです。
 やればいい。
 でも、ただ、そういうことをやろうとした場合、私はかなり危ういところがあるんじゃあないかと思う。
 そのことは、やっぱり知っておいた方がいいのではないでしょうか。
 私がここで考えているようなことを、もし考えずに、魚がいないところで、魚釣りをしようとしている人がいるなら、「自分がやっていることをもう一度振り返って考えて見る必要があるんじゃあないですか」と、そういうことを、話てみたかったんです。

 蛇足ながら、自分の文章に対して、私のように「読んでもらうことを求める」のか、BLADEさんのように「意見まで求める」のかは、その人の「人と人とのつきあい方」
に対する考え方、価値観の違いですね。
 だから、それはそれでお互いの考え方を、尊重すればいいんです。
 もしそれについて議論したいなら、また別の場で、ということでしょうね。
 そういう議論も、してみれば面白いかも知れません。

コメント

  1. ちくわの偽者 より:

    初コメ失礼します。
    本当は1の方に書きたかったのですが、こちらに書きます。
    これは飽く迄自分の意見なのですが、日記を公開制にする理由というのは実際はとても簡単で、純粋に誰でも閲覧可能な状況を作り出す為です。
    この“誰でも閲覧可能な状況”を作り出す事によって生まれるのは、マイミクの増加などです。確かにmixiにはプロフィールというものがありますが、それだけで人のナリを見るのは、少々乱暴なような気がします。プロフィールにはそりゃ、書きたくない事も沢山あるでしょうし。
    “その日あった出来事を相手に伝える”という、たったこれだけの事でも、自分の意思や主観。(独創的であるにせよ)考え方を伝える事ができます。それを誰かに伝え、共感を得られる相手を探す事がこのmixiの目的なのではないでしょうか。
    勿論、日記に書く事柄によって共感の得方も違うでしょう。ある日記では同じ意見だった人でも、別の日記では「ちょっとそれは違うでしょ」という意見になる事も充分有り得ます。
    それ故にマイミクさんの数をどんどん増やすわけです。共感できる相手との一種の“会話”をする事にも充分意義があると思います。
    日記は、その会話の話題のネタという考え方も出来ますね。

  2. BLADE より:

    >BLADEさんの日記は、その記事が対象とするそれぞれの内容について、自分の考えをある程度客観化して整理していく中で、それに対する自分の立場というものを明らかにしようとする努力があると思うんです
    まさにその通りです。自分のやっていることと合致する言葉です。ありがとうございます。以前はノートにメモをしてました。ただどこにやったか分からなくなったりと不便だったんです。自分にはネット上で整理していくほうが、合っているようです。
    自分の情報を整理しているので、自分で書いたものの、「意見をいただく」というスタンスは他人に強制をしているようです。ちょっと自分の思うニュアンスとは違うので、ぴったりの言葉を探します。(今は思いつきません・・)
    ネット上だけでもいいから、何も、他の方に示す自分なりの何物かを持たないまま、ネット上に理解を求めていくようなことをするのは、いかがなものでしょうか。
    確かに、それで救われる命なら、それはそれでいいんです。
    やる価値はある。
    でも、そういうことをやろうとしている自分の危うさはやっぱり知っておいた方がいい
    この部分はネットリテラシーの部分だと思います。ネットを自分を高めていく手段の一つとしてとらえることができるように、学校でもその「知識」を与えていくべきだと考えています。
    ネットにおける日本語の情報空間が、英語圏のものと遜色がないようになっていくためには必要なことだと感じます。

  3. Neko Fumio より:

     次の記事で
    https://www.sakubun.info/?p=168
    いただいたコメントを受けて、
    もうちょっとつっこんで書いてみました。
     BLADEさんの「自分の情報を整理」ということなら、
    ブログも使ってみるといいかもしれませんねえ。
    まあホームページでもいいですが。
     mixiの足跡を付けた人がどんどん訪れてくれる魅力は、
    捨てがたいので、
    mixiでどんどん記事を書いていきながら、
    意見ももらって、
    その同じ記事を、
    分野ごとに
    カテゴリーに分けて、
    ブログにも転載していくというやり方ですね。
     カテゴリーは、後からでも変更できますし、
    とりあえずカテゴリー分けしながら、
    どんどんブログに転載していく感じです。
     同じ記事を、複数カテゴリーに登録できると、
    さらに一覧性が高まります。
    mixiは日記を時系列でしか保存できないので、
    記事の内容ごとに分類して見ていただくという点では、
    とっても使いにくい。
    過去になればなるほど、
    内容が管理できずに埋もれていってしまう。
    紙に書く日記と全く同じ。
     ブログだと、同じ時系列でも、
    カテゴリー分けができる分、
    同じ分野の記事が一覧できて、
    埋もれにくくなります。
     たとえば、こんな感じです。
    http://www.neko01.com/car/blog/
     もっと本のような体裁にして、
    きちんと順番を管理して、このような形で
    http://www.syouron.com/
    読んでいただこうとすると、
    ブログでもホームページでも、
    もうちょっと一工夫がいりますが。

  4. BLADE より:

    内容別に日記を分類できないものか、と考えていました。小論文のページは非常に見やすいですね。参考にさせていただきます。ありがとうございましたm(_ _)m

  5. Neko Fumio より:

     小論文のページは、
    かなりマニアックなことをやっています。
     無料ブログなんかだと、
    ちょっとここまでは、難しいかもしれません。
     かといって、自分でやると、
    人を呼んでくるのが難しい。
     私、その努力、
    あんまりやってないので、
    鳴かず飛ばずですね。

  6. えりだぬす より:

    足あと返しで。
    何故書くかって?
    異国での経験の記録。
    あるいは、化粧や洋服を着るのと一緒。
    それ自体が楽しい。
    適度のコミュニケーション。
    日記は全体に公開してるけど、マイミクは制限している。
    で逆に質問。
    どういう経緯で、私のところへいらしたのですか?
    何故、こんなに長く書くんですか?
    何故、文の途中でこまめに改行するんですか?

  7. Neko Fumio より:

    >どういう経緯で、私のところへいらしたのですか?
     「小論文」「作文」について、興味を持っている人を
    研究するためです。
     片っ端から。
     それと、客寄せ。
    >何故、こんなに長く書くんですか?
     それ自体が楽しいから。
     自分の意見を書いて、人に読んでもらいたいから。
    >何故、文の途中でこまめに改行するんですか?
     その方が、このmixiでは、読みやすいと考えているから。
     これについては、こちら。
    https://www.sakubun.info/?p=171

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