話の流れ
前回、数回前の記事、「母ちゃんを悩ませるなー」について、「これを書いた筆者の意図は何だったのか」を考えることで、「文章というのは、『自分の伝えたい何か一つのことを、読者に伝えるために書くものだ』」ということを説明しました。
自分をアピールする?
前回の記事で、「『具体的な情景や、気持ち」を説明しながら、自分の良さを、読者に感じさせるのが、就職や進学の作文なのだ」というような説明の仕方をしました。このことで、「それでは、受験や就職に関係のない作文では、関係ないだろう」という風に思われた方もいらっしゃったのではないかと恐れています。
日常のあれこれや、感想を書きつづるというのは、結局、「自分の持っているものの中から、どのような自分を見せたいのかを選んで読者に提示する」ということです。ですから、「あれこれあったことや、感想を読者に伝えたい」という欲求を感じて文章を書いたときに、結局、その欲求の底の所では、「こういう自分として、読者に見てもらいたい」という心理が働いているのです。
ですから、作文を書くことによって、「どういう自分として見てもらいたいのか」を最終的には目標にしているということは、どんな作文にでも当てはまります。
そして、「どんな自分」と言うとき、「豊かな感受性をもった自分」「前向きにがんばっている自分」「人間性豊かな自分」「ものを深く考えている自分」「他人を思いやる自分」というような、自分のプラスの面を表現しようとすることが、マイナス部分を表現しようとするよりも、圧倒的に多いことも、また事実です。
ただし、就職・進学作文の場合は、本当に青春ドラマにあるように、純粋にプラスと誰にでも評価されるような内容を書くべきなのに対して、そうでない一般の作文の場合には、同じく「自分のプラスのイメージ」といっても、描こうとするイメージには、かなり大きな幅があってかまいません。
たとえば、今回問題にしている私の作文「母ちゃんを悩ませるなー」の場合は、青春ドラマの先生のようなイメージではなくて、ちょっと人間的な弱さを持っているイメージを持たせていました。もしこれが、教員採用試験の作文だったら、当然これでは受かりません。とにかく熱意を感じさせる作文を書かなければならないでしょう。
しかし、そのような作文ではない場合には、同じくプラスのイメージといっても、そのようなばりばりのイメージばかりとはかぎりません。
前回のコメントで、私のエッセーに対して、ひまわりなつこさんが
でも、金八先生とは違い熱血ってほどじゃなくて(あんまり熱血な人は私が苦手)
そこがまたいい感じで
と評してくださいました。
私があの作文で表現したかったのは、まさにこの「そこがまたいい感じ」の部分なのですから、このように言っていただけると、とてもうれしいです。
今日この頃
余談になりますが、私の嫌いな言葉に、「今日この頃」というのがあります。あなたはどうですか。この表現は、特に、ラジオ番組の投稿などでよく使われますね。
何か、感じているほのぼのとしたようなことを書いて、「〜という今日この頃です」と締めくくれば、何でも、それらしい作文になります。特に、季節感を感じているとかいう場合には、よく使われる表現です。
「梅のほころびに、春を感じる今日この頃です」
どうでしょうか。そのように書くことで、季節を豊かに感じている自分を演出できるんですね。ところがこのような内容を、「今日この頃」という言葉を使わずに、そのようなことを感じている自分の良さを読者に伝えようとすると、途端に書くのがずいぶん難しくなるのが分かるでしょうか。
つまり、この「今日この頃」というのは、何でもかんでも飲み込んで、読者に、「しみじみと感じている自分の良さを感じろよ」という無言の圧力を与える言葉なのです。だから、この表現を使うと、何でもかんでも、それらしい文章になってしまう。
しかしそれを裏返して言うと、内容がそれほどでもなくても、「しみじみと感じている自分の良さを感じろよ」という無言の圧力を与えるわけですから、内容ではなくて表現だけによって読者に感動を要求している、さもしさのようなものがあるのですね。その辺りの心理を感じ取ってしまうので、私はこの表現が嫌いです。
そしてこの表現のもう一つ始末に悪いところは、書いている本人をその気にさせてしまうというところです。どういうことかというと、この表現を使うことで、筆者自身が、自分がさも豊かな自分を表現しているように思い込んでしまうということがあるのです。つまり、本当は内容などそれほど大したこともないことをちょっとそれらしく書いているだけなのに、豊かな自分を表現できたと錯覚に陥らせてしまう。こういう風に、書いている筆者の目を曇らせてしまう、そういう働きが、この「今日この頃」にはあるのです。
試みに、この表現を使わずに、感受性豊かな自分を果たして表現できるかどうか、実際にやってみれば、自分がそうなっていないかどうかはすぐに分かるでしょう。
この「表現だけによって読者に感動を要求する」「表現が作者自身の目を曇らせる」という点では、「!」や「?」を使うのも、同じ様なことがいえます。感動や疑問を伝えようとして、「!」や「?」をめったやたらと使う人がいるでしょう。でも、書いた人は、これらを使うことによって、その気持ちを強調できたと錯覚しているのだけれども、実際の所、このような表記によって、実感が読者に伝わることはありません。その、感動や疑問の中身を言葉で伝えようとするからこそ、「!」や「?」を使うことなく、読者にきちんとその気持ちが伝わるのです。
「今日この頃」の場合は、読者もごまかされてしまうのに対して、「!」や「?」は、これらの表記によって、書いた人だけが、気持ちを伝えることができていると独りよがりに思い込んでしまうという点で、こちらの方がもっとたちが悪いと言えるかも知れません。(https://www.syouron.com/nekoron/?page_id=13)
コメント
確かにそう思います。
「今日この頃です」味わい深い人格を錯覚させますネエ。
私が履歴書でみつけて嫌なもの。
「特になし」の「特に」
ろくに考えもしないで、特になんてつけないでほしい。
何かあるなら書いたほうがいい。ないなら 「なし」
そうほうが潔い。と、私は思います。
今日この頃に関するお話はもっともだとおもいます
ただそのフレーズは半ば冗談で使用する場合が増えているのではないでしょうか
ニュースや新聞など公共的なメディアで語られるのや
比較的高齢の方々が定型文として使うのは別として
若いひとたちにとっては
少し古臭いが尤もらしい言い回しをパロディとして使用し
それを軽く笑っているという感じではないかと思います
つまり
今日この頃という定型文のまえに来るべき
中身はないがそれらしい言い回しとは異なる物言いをして
その違和感を楽しんでいるのではないかという事です
さらに
その定型文のまえに来るべき中身はないがそれらしい言い回しをあえて使い
その文章全体すら笑いの対象にしているようにも思えます
これらは
ねこさんやタンポポさんや僕が共有しているであろう言語感覚が消滅していることを示しているのか
それとも新しい感覚が生まれ我々がついていけないのか
その辺を考えないといけないのではないでしょうか
僕自身は
パロディとして使用しつつも
ニュースや新聞などで使われると
ごまかしの表現だなあと思います
面白い捉え方ですね^^ 確かに使えば簡単にそれっぽくなる。でも、それだけ。思い返してみれば、本当にすごいなと思うような人の文章は、何でもないよう表現などでもうまいと感じさせたり……。そういったことができるようになってみたいものです。まずは、顔文字に頼らないというのも必要そうですが。
こうのすけさん
いただいたコメントのような「今日この頃」の使い方について、思うところを少し書いてみました。
https://www.sakubun.info/?p=191
ひまわりなつこさん、
コメントを受けて、別記事を書きました。
https://www.sakubun.info/?p=192
YOUさん
おっしゃる通りです。
ご自分が、「何でもないような表現で、うまいと感じさせられた」ものを、もう一度確認してみてくださいね。たぶん、「今日この頃」なんて、ワンパターンの思わせぶりな表現を使わずに、ごく普通の言葉を使いながら、リアルな実感をうまく表現していたはずです。
「何でもないような表現でも、うまいと感じさせられる」文章に近づいていくためには、私がこだわっている、たとえば「今日この頃」のような言葉に、自分自身がごまかされないように注意して、言葉を意識的に吟味して使おうとする以外にはないのではないでしょうか。
Neko先生こんばんは
今日この頃、というフレーズは、最近という意味に、とって、深く考えたことはなかったです。正式な使い方をしりませんでした。
Neko先生の、文章は読みやすいし、長文なところが、魅力ですね!!
文章が、なめらかでいいです。
また、!!とか?は、まやかしとは、思わず、まったく使わないと、表現しずらいときもあり、ついついつかって、頼りがちです。
多用した場合は、憎めない感じが、憎たらしくなったりする人も、いるのかもしれないと、思いました。
トトコさん
コメントありがとうございます。
返事を日記にしてみました。(https://www.sakubun.info/?p=197)
辛口過ぎるかもしれませんが、一般論として常々私が考えていることですので、悪く取らないでくださいね。