思考整理の例題1 『コンコルドの誤り』問題考察

 思考の文章化の過程で、整理が中途半端であると、できあがった文章はとても、読みにくいものになることを考えるための例題を、前回、出していました。
 さすがに、これは現代文のテスト問題のようなものなので、答えにくかったようですね。一人だけ勇気を持って、答えていただきました。ありがとうございます。
 以下、この答えを参考にして、考えていきたいと思います。

 なお、例文は、現行の第一学習社の国語総合の教科書、『高等学校 改訂版 標準 国語総合』に掲載されているものです。

コンコルドの誤り

              長谷川眞理子
 コンコルド開発にまつわるこのエピソードをもとに、行動生態学の分野で「コンコルドの誤り」として知られている考え方がある。いま、一羽の雄の鳥が、ある雌に求愛しているとしよう。これまでに雄は、ずいぶん長い時間を費やし、たくさんの癆をプレゼントに持ってきたが、雌はいっこうに気に入ってくれない。雄は、このまま求愛を続けるべきか、やめるべきか? このような状況で、動物たちがどのように行動するよう進化してきたかを考えるとき、一昔前には、雄はもうこの雌に対して大量の投資をしてしまったので、いまさらやめると損失が非常に大きくなるから求愛をやめないだろう、という議論があった。ところが、これは理論的に誤りなのである。
 コンコルドは、開発の最中に、たとえそれができ上がったとしても採算の取れない代物であることが判明してしまった。つまり、これ以上努力を続けて作り上げたとしても、しょせん、それは使い物にならない。ところが、英仏両政府は、これまでにすでに大量の投資をしてしまったのだから、いまさらやめるとそれが無駄になるという理屈で開発を続行した。その結果は、やはり、使い物にならないのである。使い物にならない以上、これまでの投資にかかわらず、そんなものはやめるべきだったのだ。
 このように、過去における投資の大きさこそが将来の行動を決めると考えることを、コンコルドの誤りと呼ぶ。求愛行動だけでなく、縄張りの確保や子育てなどのさまざまな状況において、どこでやめるべきかという「意思決定」が必要となるだろう。そのとき、過去にどれだけの投資をしたかに重点を置き、それを目安に将来の行動が決まるとするのは誤りなのである
宿題
問1
 「コンコルドの誤り」とは、どのようなことですか。
問2
 「過去における投資の大きさこそが将来の行動を決めると考えること」と、ほぼ同じ内容の部分を、本文中から、抜き出して、あるだけ答えてください。ただし、具体的な例に即して、この内容を言った部分でもかまいません。
 抜き出した部分は、問われている部分に対応するように、「はじめ」と「終わり」をできるだけ厳密に答えましょう。
問3
 上の二つの問をふまえて、この文章で、筆者が思考を整理し切れていない部分を、考えてみましょう。
問4
 上の考察をふまえて、筆者が言おうとしている、「コンコルドの誤り」とは、本当はどのようなことですか。問1で答えた内容に、いくらか言葉を付け加えて、考えてみましょう。

問1
****
 もちろん、応募してくださった解答、「過去における投資の大きさこそが将来の行動を決めると考えること」で、OKです。
 普通の国語の授業だったら、こう教えて終わりですね。ワークの答えもこうなっています。

問2
****
 応募解答

①雄はもうこの雌に対して大量の投資をしてしまったので、いまさらやめると損失が非常に大きくなるから求愛をやめないだろう
②英仏両政府は、これまでにすでに大量の投資をしてしまったのだから、いまさらやめるとそれが無駄になるという理屈で開発を続行した

 さすがに、いい線をいっています。しかし、国語のテストの解答だったら、もう少し、始まりと終わりは厳密に行きたいところです。
 ①「〜求愛をやめないだろう」までだと、「行動を決める(と考える)」までですから、問題部分の、「こと」まで含めるためには、「求愛をやめないだろう、という議論」までいきたいところです。
 ②は、具体例ですから、仕方がない面があります。「英仏両政府は、」は、あっても可としますが、あると、元の問題文より主語が入って、だいぶ限定された感じになります。
 それと、ここで答えなければならないのは、文章の途中までですから、これを残しておくと、主語に対する述語の収まり具合が悪くなります。
 後ろは、①と同じで、「無駄になるという理屈」まで行った方がよいでしょう。
 「開発を続行した」まで入れてしまうと、「〜と考えて、〜した」まで、入れてしまうことになるので、入れすぎです。
 ③「過去にどれだけの投資をしたかに重点を置き、それを目安に将来の行動が決まるとするの」も、言い換えです。ここでは「する=考える」「の=こと」ですから、厳密にいくと、やはりこれもこういう答えになります。

 Nekoの解答

①雄はもうこの雌に対して大量の投資をしてしまったので、いまさらやめると損失が非常に大きくなるから求愛をやめないだろう、という議論
②これまでにすでに大量の投資をしてしまったのだから、いまさらやめるとそれが無駄になるという理屈
③過去にどれだけの投資をしたかに重点を置き、それを目安に将来の行動が決まるとするの

問3
 応募解答

 動物の求愛行動についての議論の、なにが理論的に誤りなのかが説明されずに、同様の例示が繰り返されている。

 確かに、コンコルドの例と、鳥の例とがまぜこぜに説明されていて、わかりにくくなっているということもあるようですね。
 その上、ご指摘のように、「動物の求愛行動についての議論の、なにが理論的に誤りなのか」の根拠は、教科書本文の最後に、やっと「コンコルドの誤りは誤りなのであって、誤りであるような行動は進化しないはずだからである」という形で、書いてありました。その点でも、整理が悪いということは、言えそうです。(教科書本文の上に続く部分は、前回のコメントに載せてあります)

 しかし、それを直し出すと、文章全体の大改造になってしまいます。そういうことも必要なのですが、今ここでは、もっと簡単に、「コンコルドの誤り」ということ、そのものについて考えてみたいと思います。
 問2で考えた答えと、それに続く部分のつながり具合など、考えたりしながら。

 以上の問1,2は、筆者が書いているところを、きちんと読み取ればそうなるのですから、それを応用して、(1)の答えを(2)に代入してみましょう。
 すると、その続きの文章は

①「コンコルドの誤り」は理論的に誤りなのである。
②「コンコルドの誤り」は誤りなのである

のようになりますね。
 「誤り」は、「なのである」というように、強く言わなくても、「誤り」に決まっている。
 「『コンコルドの誤り』として知られている考え方」と書いているように、筆者は、
  「コンコルドの誤り」=「このような考え」=「誤り」
というつもりで書いているから、「のである」と強く主張しているのです。しかし、「コンコルドの誤り」という言葉には、「誤り」という言葉が含まれていることから分かるように、本来、「考え方」だけではなしに、「価値判断」も含まれています。ですから、
  「コンコルドの誤り」=「考え方」+「誤り」
でなければならないはずなのです。それを、筆者のように、
  「コンコルドの誤り」=「考え方」
と定義しようとするから、代入した文章が、上のように変なものになってしまうのです。

 何が言いたいのか、今一歩よく分からないでしょうか。
 つまり、「コンコルドの誤り」という言葉には、「誤り」という言葉が入っているので、読者は、正常な読み方をして、「コンコルドの誤り」の中に、価値判断までを期待して読むのに、筆者は、「コンコルドの誤り」=「考え方」として書こうとしているのです。その結果、読む者は、「コンコルドの誤り」にある、「誤り」という言葉と、「『考え方』は誤りなのである」の「誤り」とに引っかかって、混乱してしまうのです。

 簡単なことなのですが、いざこれを言葉で説明しようとすると、なかなか困難ですね。

 もう一度、「誤り」の部分だけに意識を集中させて読んでみてください。そうすると、①で答えた定義がおかしかったことが分かってきませんか。
 このように定義を正直に受け取って、厳密に読んでいこうとすると、「コンコルドの誤り」とはいったい本当は何なのか、分かるようで分からない、雲をつかむようにもどかしい気分になるはずです。
 そこの所を、

○「コンコルドの誤り」=「考え方」+「誤り」
○「考え方」=「過去における投資の大きさこそが将来の行動を決めると考えること」

と考えると、取り上げられた例が、すべて、「コンコルドの誤り」の具体例の説明としてきちんと対応するので、文章が整理されて、だいぶわかりやすくなるはずです。

問4
 答えてくださった

問4 投資を継続するかどうかという将来の行動の判断基準は、過去における投資の大きさに置くべきではなく、つねに将来の成功の可能性を基準にするべきである。

は、論旨であって、「コンコルドの誤り」の定義ではありません。
 問3のところで、私が違う問題を設定してしまったので、問4はそこから導かれる問ですから、何を考えればよいか分からなかったと思います。

 上の考察を受けて考えると、問4の解答は、
  「コンコルドの誤り」=「考え方」+「誤り」
とすればよいことになりますから、

「コンコルドの誤り」=「過去における投資の大きさこそが将来の行動を決めると誤って考えること」

となります。
 この解答の文章を、問1で答えた部分と入れ替えて、もう一度、問題文を読み直してみてください。
 たかが数文字を付け加えただけですが、本文の読みやすさがだいぶ変わってきませんか。

 筆者の思考整理がちょっと不十分なだけでも、このように文章が途端に読みにくくなってしまうのです。

添削ということ

 「添削」するとき、ほとんどの人は、添削者の思っていること、言葉遣いを書かせようとしてしまいます。その結果、なるほど少しはましになっているのかも知れないけれど、生徒の文章ではなくなって、添削者の顔がありありと現れている。
 上の「誤って」が入るか、入らないかは、文章のレベルからいったら、「月とすっぽん」ぐらい違うものなのです。ですが、添削される側の生徒は、「ちょっと直してもらって、よくなったた」としか思わない。
 このような添削を、私は目指したいですね。

 そして、あなたにも目指していただきたい。

コメント

  1. 夢遊 より:

    ありがとうございました。
    なんだか、やはり赤点っぽいですね。
    この問題文読んでると、石原都知事のことばかり考えてしまいます。

  2. Neko Fumio より:

     いいえ。問3については、指摘してくださった問題点は、やっぱり大きいと思います。
     私自身、元々、「この文章は思考整理が緩いな」と思ってはいましたが、そこまでで、「なにが理論的に誤りなのか」をはっきりと説明しようという姿勢がないという点について、問題点として指摘するほど、はっきりと把握していたわけではありませんでした。ですので、この点、改めて教えられました。
     「同様の例示を繰り返す」ことについては、わかりやすさにつながるので、それが欠点に直結するわけではありません。しかし、この文章の場合、「同様の例示を繰り返す」時、微妙に視点が変わりながら説明しているので、「論点の整理」の観点から見ると、やはりよい文章とはいえません。
     内容は、面白いことを言おうとしているのですがね。
     解答をいただいてから、改めてこの問題文を読んでいると、「文章が全部ばらばら」のような気がして、頭が痛くなってきました。私が指摘したことだけ直せば、ましになるようなものではなくて、もっと根本的に直す必要があるものだった気が、今更ながらしてきました。
     他のみなさんからのコメントをいただけなかったのも、そのようなところの私の強引さが、ちょっと無理だったのかも知れないな、と考えています。
     「新銀行東京」のことですね。たぶん、この「コンコルドの誤り」そのままになるでしょうね。私も、「補正予算を……」の議論を聞いたとき、これを思い浮かべました。

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