前回の、「(笑い)」「!」「?」についての返事が書けなくて、4回ほど、自己啓発の話題に逃げ込んでいました。今回は、「この問題について、もう少しお答えしておきたいと思います。
なお、まだ、「抽象的思考」についてはさらに長く、逃避中です。
「記号のない文章」の記号化
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ぶんさんの、「記号のない文章の記号化」という考えは、面白いですね。
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足跡があったので拝見しました。とても興味深いです。
以前私は、絵文字や顔文字を断固として使いませんでした。当時は中学生で、その理由も感覚的なものではっきりとはしませんでしたが、絵文字はどこか嘘っぽくて無性に嫌だった、ということは覚えています。しかし、文章の力だけで気持ちを伝えるというのはとても難しい事です。私も、格好つけていた割に当時の恋人には「メールが冷たい」と非難されまくりました。
問題は私に文章力がなかった事が大半ですが、Nekoさんのような文章力のある方に対しても「失礼ですが」のようなメッセージが来るということは、文章力だけの問題ではないようですね。
あくまで私の見解ですが、そう思われてしまう原因は「記号のない文章の記号化」であるような気がします。
日常的に顔文字や絵文字に触れている人は、顔文字、絵文字のない文章それ自体を「負のニュアンスを含めた記号」と認識しているのだと思います。
例えば、普段ごてごてに装飾されたメールを書く人が、急に記号を使わなくなったとします。するとそこには必ずと言っていいほど、怒りや悲しみ(あるいは無感情)などの負のニュアンスがあります。そういった環境に慣れてしまった人の中では、記号のない文章=負のニュアンス、という式が成り立ってしまいます。短文の多い私的なメールや、mixiなどのフランクな、常に顔文字絵文字が飛び交っている場所ほどその傾向が強く出る気がします。しかも相手を選びません。ですから内容云々ではなく、記号のない文章自体に不安を感じるのです。
>あなたの文章を読んでいると冷たい、嫌な気持ちになります。
この文章の真意はそこから来ているような気がしてなりません。
私も大学で友人ができた際、最初のメールはなるべく絵文字を使うように心がけています。「この人怒ってるのかな」と、いちいち思われてしまうのはめんどくさいですから、、、。
私が生活していく上では顔文字絵文字を使いたくはないけれど、便宜上使わざるを得ない状況も多分にあります。問題は、それらの状況をいちいち混同してしまう人が多すぎる、ということです。
長々と失礼致しました。
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>日常的に顔文字や絵文字に触れている人は、顔文字、絵文字のない文章それ自体を「負のニュアンスを含めた記号」と認識しているのだと思います。
という考えには、私も、賛成です。
普段、教科書のような文体で書く文章になれていない人ほど、そのような文章は、知ったかぶりで、人間味のない、「(学者)先生」が書くものだと思っているような所があるのではないでしょうか。
「そのような文章では、私たちが感じている、『本当の』心情など伝えられるはずはない」と。
顔文字や、記号がない文章、「です・ます」ではない、「だ・である」の文章に対して、このようなマイナスのイメージを持たせた責任の一部は、、もしかしたら、我々国語の教員にもあるかも知れません。
書かれている問題に対して、「自分にとっても大切なことなのだ」という意識を、教師が生徒に持たせることができなければ、生徒は、国語で習うような文章を、自分達の生活している次元とは、全くかけ離れたところにある、自分とは全く無関係な難しい事柄をもっともらしく解説した文章だととらえてしまいます。そのようなものを、「テストに出すぞ」と脅されて、強制的に覚えさせられるのですね。
だから、こうやって、嫌々学校で、教科書を読まされていると感じているなら、当然、教科書のような文体の必要性を感じることが出来ず、マイナスのイメージしか抱けないのも無理はない。
こういう事が起こっているのだろうのではないでしょうか。
しかし、これは、『小論文超入門』にも、『小論文・作文講義』にも最初に書きましたが、教科書のような文体というのは、ただ、同じことを偉そうに書くために使われるのではなくて、内容のある事柄を、多くの人たちに、的確に伝えるためには、そういう文体が一番効率がよいから、みなさんが使っているのですね。そういうことを実感でできていない方は、教科書のような文体に対して、嫌悪感すら抱いているかも知れません。
ですが、この「記号のない文章の、マイナスの記号化」を克服しないと、顔文字や、記号がない文章、話言葉の文章だけでは、うまく伝えにくい所、教科書のような文章の方が、却って伝えやすい内容も多いことなどに対して、盲目になってしまいます。
そのことを、あなたに分かっていただきたいなと思って、これまで、「(笑い)」「!」「?」についての記事を書いてきました。
時と場合によって、適切な表現が必要
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上の、ぶんさんのコメントで、
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私も大学で友人ができた際、最初のメールはなるべく絵文字を使うように心がけています。「この人怒ってるのかな」と、いちいち思われてしまうのはめんどくさいですから、、、。
私が生活していく上では顔文字絵文字を使いたくはないけれど、便宜上使わざるを得ない状況も多分にあります。問題は、それらの状況をいちいち混同してしまう人が多すぎる、ということです。
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特に携帯メールなどでは、顔文字や、記号の入っていない文章を書いて、「冷たい人だと思われた」「情感がこもっていないと言われた」というのは、よく聞く話ですよね。
「顔文字や、記号」は、内容を正確に伝えるという点はともかくとして、「情感の共有」、もしくは、「情感の共有感覚の丸飲み」については、たしかに効果があるので、上の話のように、「記号のない文章の、マイナスの記号化」という心理を抱いている方が多い以上、そういう方に向かって発信する手紙には、いらぬマイナスイメージを持たせないように、「顔文字や、記号」を使っていく方が、賢明でしょう。
しかし、いつでも、どこでも、誰に対しても、どんな内容でも、同じやり方が一番有効だと思いこむのは、やはり早計です。それぞれの文体は、それぞれの良さがあるから、分かる人はきちんと使い分けています。
ところが、たとえば、「顔文字や、記号」のある文章が一番だと思いこんで、教科書のような文体の文章を書く練習を全くしなかったら、「顔文字や、記号」のある文章の欠点には絶対に気づきません。それで、なおさら「顔文字や、記号」のある文章がすべてだと思い込むとすれば、それは嘆かわしいことではないでしょうか。
ふくちゃんさんが書いてくださっている
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めるもさんの意見に同感したのですが、その時その時の必要に応じて
文章を丁寧にしたり、雑と言うのも変ですが軽い表現を使ったり出来ると
その方が「やるやん」と思うのは私だけでしょうか。
ネコ先生の日記ですので、丁寧に「?!」を私は使わないように書いてます。
私の日記でしたら、ガンガン使いますよ。
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というような、感想に私は同感です。
文章にこだわる私としては、時と場合に応じて、表現を使い分けて、「やるやん」という文章を目指すことこそが、すばらしいと考えています。
そしてその場合、顔文字や記号を使わないで、毛嫌いしている私のような人物よりも、顔文字や記号を使わない文章を毛嫌いしている人間の方が、圧倒的に多いわけですね。ですから、普段使い慣れてはいないかも知れないけれども、やはりそういう文章にも、顔文字や記号をやたらと使う文章では出せない良さがあるのだから、自分の文章をもう一度振り返るためにも、書いて練習してみたらどうですか。それをしてみると、する前に気づかなかった、今私がここで説明しているようなことにも、気づくようになりますよ、というのが、私のここでお伝えしたい事柄です。
表現する上で使えるものはすべて使う
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マハードさんから、下のようなコメントをいただきました。
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>>「(笑)」というのは、「もう五年も田舎に帰ってなかったことに、気づきもしなかった自分に対して、「何らかの感情を筆者が感じているよ」ということを、読者に伝えるための、照れ隠しの表現です。そういう自分を「笑う」というポーズ。
その結果、故郷に帰らない自分が薄っぺらくなってしまっています。
「作者の個性を感じ取りながら、読者に読み進めてもらう」ためには、そういう「笑い」に限定したポーズを出さない方が、読者が勝手にイメージをふくらませてくれるのではないでしょうか。
これは文章の中での(笑)だけでなく、日常会話でこの文章のようなことを話す時に少し笑いながら喋ることすらも否定しているように思えます。
あなたの意見が正しければ、会話で表情(顔の表情、声の表情など全てひっくるめた)を出す必要は全くなく、前後の文脈で推測すればよいのだということになります。確かにそうかもしれません。ですが、実際に私達は日常会話でこのような表情を用いています。今ネット上などで使われている(笑)などの表現は文章をできるだけ現実での会話のイメージに近づけるために使われているはずです。なぜそんなことが行われているのか。それは日常会話が人間にとって一番効率的な情報伝達の方法だからではないかと思います。もちろん、会話は情報伝達だけのためにあるのではありません。人間関係などにも深く関わってきます。そういった面など、全てを考慮した上で一番効率がよいのではないでしょうか?勿論、情報伝達だけを重視するのだったら表情などいりません。言葉だけで十分です。人間が「コミュニケーション」を行う上では表情が絶対に必要なのです。
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私の最初の出発点とする立場をまだ十分には説明しきれていないようですね。私の大前提は、「表現として効果があるものは、記号であれ、顔文字であれ、すべて一番効果的な表現が出来るようにすべて使う。」「回顧老人が、『昔はよかった』というような繰り言を言うようなことは、一切やめて、『表現の実質的な効果』というところから、文章を見ていきたい」ということです。
ですから、たとえば発表するとか、演説する、会話するということなら、使えるものは、すべて使う。もちろん、言葉だけでなく、しゃべり方、表情、そぶり、それらが醸し出す雰囲気はすべて使えますし、それらを調和させて、効果的な表現を考えていかないと、よい表現はできません。だから、それらをすべて使う。
ところが、文章というのは、直接会って話をするときには使える、それら一切のものが使えません。使えるのは、記号や顔文字を含めた、「文字(記号)」だけですよね。だから、その記号や顔文字をいかに効果的に使うのかを考えていかなければなりません。
>今ネット上などで使われている(笑)などの表現は文章をできるだけ現実での会話のイメージに近づけるために使われているはずです。
これは、確かにそうかも知れません。しかし、この、「文章をできるだけ現実での会話のイメージに近づけるために使われている」、「(笑い)」という表現も、所詮、文字や記号の一種にしか過ぎません。
これはどういうことかというと、いくら「(笑い)」と書いて、会話を再現しようとしても、表情や、その他、その場に居合わせる者が受け取る微妙なニュアンスを、たった一つの「(笑い)」という言葉で、それを再現することは、不可能だということです。
会話の微妙なニュアンスを伝えるためには、「(笑い)」という言葉だけで伝わるのか、それとも別の言語表現を工夫しなければならないのか、どちらにしても、記号や言葉によってそれを伝えていくしかないわけですから、そのことを反省してみるべきだと思います。
たとえば、サンタまりぁさんが最初に書いてくださったように、例文の冒頭の部分を笑いだけに限定するにしても、
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文頭の(笑)は冷笑なのか?微笑なのか?爆笑なのか?嘲笑なのか?
贅言を要すものではなく、読者が作者の個性を感じ取り読み進めるものではないでしょうか
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「(笑)」の内容を、このように多様に読み取らせたいのなら、そのように読み取らせるための表現の工夫がいりはしないでしょうか。「(笑)」という簡単な表現だけで、会話の文字以外の状況を彷彿とさせて、そのような多様な解釈を読者がしてくれるとは、私には到底思えません。
くどくどと書けば、思いが伝わるわけではない
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「記号や顔文字だけで、思いが伝わるわけではないから、その思いを伝える表現を、文章の中に仕込むことを考えなければならない」というと、「みなさん、くどくどと長く書くことで、気持ちが伝わるわけではないでしょう」という反論をなさいます。
「くどくどと長く書くことで、気持ちが伝わるわけではない」のは、当たり前です。くどくど書いても思いは伝わらないこともある。しかし、記号や顔使って一つの表記をしただけでも、微妙な思いは伝わらない。
これも、サンタまりぁさんが書いてくださった「本人が感じたならば、世界一としたって何の問題もないでしょう。」というのは、書く本人の気持ちとしては、確かにそうです。でも、「日本一の味だ」と気持ちを誇張した文章を書いても、筆者の「日本一だ」という思いは伝わらない。読者が共感を持って受け入れてくれはしない。それなら、「日本一」をくどくど説明したら伝わるかといったら、そんなことをしても、やはり伝わるはずはない。
それで、この「日本一」を伝えるために、言葉や記号を使って、どう表現していくのかという問題なのですね。
サンタまりぁさんが書いてくださった
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あえて心情を詳細にわたり書き記さないことで伝える、それを読み取れる共通の感性で成り立つコミュニケーション方法というのは、ある意味、洗練されたもののように思います。
同列に語るのは乱暴ですが、短歌や俳句などは、文字数にあえて制約し作成されています。どこかそんな感覚に通じるものも感じます。(サブカルチャーではありながら)
独りよがりなディテールにこだわった冗長な駄文よりも
?!絵文字も使いわけで、要約効果があがると思うのですが・・・。
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>あえて心情を詳細にわたり書き記さないことで伝える、それを読み取れる共通の感性で成り立つコミュニケーション方法
ということには、私も大賛成です。「独りよがりなディテールにこだわっ」て、「日本一」を説明しても、読者は納得しません。それで、短歌や俳句などに通ずるような、中身を感じさせる表現を模索していくことになるのです。
ただ、その思いを込めた表現が、果たして「!」や「?」で事足りるのかという点では、私の考えとは、意見が異なりますが。
短歌や俳句の表現
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短歌や俳句で表現されることは、誤解を恐れず簡単にしてしまえば、「美しかった」とか、「いとしい」とかそういう、一語で片づけてしまえることですよね。
それを、「美しかった!」とか、「いとしい!」とやっても、感じた気持ちを、筆者が読者に感じてもらいたがっているということは伝わるけれども、読者が、筆者の思いに共感して、実感してくれるわけではありせん。だから、具体的情景を、短い言葉の中に再現して、気持ちを読者が共感できるように、圧縮して示すわけでしょう。
このようなやり方が、私の言う、「気持ちを読み取らせるための表現の工夫」ということです。
「!」「?」など、場合により効果がないとは言わないが、常用は考えもの
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これまでにもさんざん述べてきたとおり、場合によっては、「!」「?」を使うことが効果がないとは私も思いません。
たとえば上にも説明したような、「!」「?」を常用することに価値を見いだしている多くの人とのコミュニケーション。または、文章のタイトルや、メールのように、簡潔な文章で、説明を省いて簡単に状況説明したいとき。このようなときはとても有効に働くでしょう。
たとえば、キンさんが説明してくださったように、
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記号(?!笑 ww )を使って、余情を伝えようとするのはコミュニケーションをしようとしているお互いが同じ常識を持っているという事を前提にしているのだと思います。言葉に全て表さなくても分かるだろう。「俺とお前は仲間なんだから。」という仲間同士の絆の確認行為なのではないでしょうか。
空気読めといっているのと一緒で、空気が読めない相手=ハートが無い人 と思われてしまうのでしょうね。
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同じ常識を持っている人同士なら、お互いの連帯を確かめるのに、これほど有効な方法はないかも知れません。
メールや、文章の表題など、説明を省いて手短に表現するときにも、有効に使える場面はあるでしょう。
しかし、いつでもこつでも「!」「?」に頼ってしまうなら、本来は言葉できちんと説明しないと分かってもらえないことまで、「!」「?」に依存して、分かってもらえると思いこんで、済ませてしまうことも多くなるということに、もっと敏感になった方がいいのではないでしょうか。
「!」「?」「(笑い)」で細かなニュアンスまで伝えられるわけではない
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「!」「?」「(笑い)」でどこまで細かいニュアンスを伝えることができるでしょうか。それらを付けてみても、「筆者が感情を込めようとしている」「疑問文なのだな」「ここで読者に笑っってほしいか、自分が笑おうとしているかしているのだな」ということが伝わるだけで、そのそれぞれの気持ちの、細かなニュアンスまで、読者にきちんと伝わるわけではありません。
もしこれらの言葉で、その気持ちの強弱を伝えようとするなら、「!」「!!」「!!!」、「?」「??」「???」と表現を重ねてどぎつくしていくしかありませんよね。
これは、ある意味、「おいしかった」「とてもおいしかった」「とってもっとってもおいしかった」「日本一おいしかった」と説明の言葉をどんどんどぎつくしていくのに似ています。このようなことをやって、本当にあなたは、読者に細かなニュアンスをきちんと伝えることができるとお思いですか。
細かなニュアンスを本当にきちんと伝えたいなら、このようにして、表現をどんどんどぎつくしていくことで、かえって、その細かなニュアンスを伝えることが難しくなっていくことに、気がつくのではないでしょうか。
「!」「?」が普通になれば、表現をどんどんどぎつくするしかない
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*Lily*山河書いてくださったように、
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絵文字や顔文字は、私自身は好きでよく使うものの、
嫌う方がおられるということは理解していましたが
「!」や「?」も強調表現だとは全く意識していませんでした。
私の中ではすでに句読点と同じような存在になっている気がします。
むしろ絵文字や顔文字と並べて語られることに
少々違和感を覚えたくらいです。
あくまで個人的な感想ですが……。
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「!」「?」を使うことが、「すでに句読点と同じような存在になっている」というような認識になってしまうなら、感嘆、疑問の気持ちを改めて、強調しようと思う時には、「!!」「??」というように、表現をどぎつくしていくしかありませんよね。
そして、強調するのに「!!」「??」を使うのが普通だという認識になってしまうなら、もっと強い気持ちを表すためには、「!!!」「???」と更に強調していくことになるのでしょうか。
このようにして、「!」「?」などの強調表現が、強調表現であることにますます鈍感になっていくのです。
もし、「疑問文でも、感嘆文でも、「まる」(句点)で結ぶだけで十分に伝わる」という常識を認めるなら、「!」「?」を使うことが、かなりどぎつい強調表現なのだということも、素直に感じられるでしょう。
そうなれば、たとえ「!」「?」をあえて使う場合でも、一つこれらを使うだけで、十分に効果的に強調することができるはずです。
あまりいい例とも思いませんが、前々回書いた
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銀行が破綻しそうになっても、「失敗することを考えていたら、成功する確率はゼロになるから、いけー!すすめー!神風を信じて、突撃だー!」
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みなさんが感じ、実際コメントにもいくつか書いてくださっている、「『!』や『?』を使う文章の『軽さ』」を表現するのに、記号を一つしか使っていなくても、いくらかは役に立っていませんか。
次に続く
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文章の途中で、10,000字制限に、またまたなってしまいました。次の日記に懲りもせずに記事を続けることにします。
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