必要のない理由で自分を責めない

前から続く
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 前の記事「自立しているからこそ、他人のありがたさが身にしみる」を書いている途中で、10,000字制限になってしまいましたので、いつもの回りくどい文章であるのはこの際気にしないことにして、この日記に懲りもせずに記事を続けることにします。

自分を嫌うとよそが見えなくなってしまう
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 自分を嫌って、自己嫌悪に陥るという時というのは、「適度に」ということは、まず無いのではないでしょうか。「自分を抹殺してしまいたい」「自分の身をめちゃめちゃにいじめてやりたい」ほど、やもたてもたまらぬ気持ちになってしまう。
 そうすると、これも別のところで、ひまわりなつこさんが紹介してくださったように、嫌いなところばかりに目がいって、別のよい面など見えなくなってしまうということも、起こってきます。

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深い共感を覚えました。

母の介護をしていたとき、助かると思っていたから、
嫌がる母をはげましリハビリをさせたり、一さじでも多く食べようと
強要したこともありました。
それが、医者の指示でもありました。
亡くなる一週間前までそれが続き、一気に悪化。

 もう3年たっても、リハビリ中の苦しそうな母の顔を思い出し、
 どうして止めなかったんだろうと泣いたこともありました。
 まさに、後悔です。
 
 でも、今は、
 あの時は考えて考えて、それが最善の策だと思ってやったんだから。
 だから、もう後悔するのはやめよう。
 母を愛していたからこその決断だった。それで許してもらおう。
                   と、思うようになりました。

 後悔する気持ちをうけとめ、自分で許してやると、
 今度は素直に母のために頑張った自分が思い出され、
 そして、母と励ましあい頑張った介護生活、
 母が私にかけてくれた感謝の言葉や教えがたくさん思い出されてきました。

 後悔をそのように思いなおすことができるのも、
 あの時は、本当に一生懸命考えてだした結論だったと
 自分で思えるほど、考えて行動したからだと思います。
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 要するに、自分の嫌いな部分ばかりに目がいって、それがクローズアップされ、他の部分に盲目になってしまうのですね。そして、自分のことであるだけに、他人以上に、自分の悪い部分ばかりに目がいって、おおらかでいられなくなってしまう。こういうことが起こるのです。

いらぬ後悔をしない
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 ところが、「自分を嫌いな理由が、実は自分以外の所にあった」という場合も、前項に書いたとおりたくさんあります。
 さらに、我々が、「自分を嫌いだ」「自分は至らぬ」といって、自分を責めているときというのは、自分の力ではどうにもならなかったことを、自分のせいにして、身もよじれるほど苦しんでいることも多いのです。
 そして、自分の力で、何とかしようとすればできたかも知れないのに、やらなかったことを悔やむのではなくて、やってみようと努力をしもしなかったのに、できない自分のふがいなさを、できない自分を決めつけて、そういう自分を嫌ってしまう。

 このようにして、自分の力では及ばなかった、何も悩んでも仕方がないことに対して、こだわった結果、それに固執して、結局、他の部分が見えなくなって、自分を金縛りにしてしまう。そうして、出来るものも出来なくして、ますます自分を嫌いになっていくという悪循環に陥るケースが、かなり多いのではないでしょうか。

 このような悪循環に陥らないためには、自分の責任でないことは、自分のせいにしないということが大切です。
 自分を嫌って金縛りにした結果、やりもしないで、できない自分の甲斐性のなさを嘆くのは、責める対象が間違っています。
 この見当違いをきちんと認識して、責めるべき対象を、まちがってはいけません。

 それでは、「必要のない理由で自分を責めない」ためには、どのような考え方をすればよいのでしょうか。
 それは、とにかく、自分で出来る解決策はすべて、プライドをかなぐり捨ててでも、とにかくやってしまい、自分に原因がある自己嫌悪のもとをすべて無くしておくということです。悔やんでも仕方がない、見当違いな後悔に陥らないために、今できるベストだと思えることをすべてやっておくのです。
 そうすれば、それでうまくいかなかったときは、当然なぜうまくいかなかったかということを反省して、今後の方策を検討しなければなりませんが、だからといって、自分が出来る精一杯のことはすべてもう努力して尽くしているのだから、うまくいかなかった結果を招いた自分を、必要以上に責めることは、しても意味がありません。だから、必要以上に自分を責めない。
 世間の反応の原因はすべて自分にあると考えるのは、すべてを自分の思い通りにしなければ気が済まないと考えている人間の、傲慢ではないでしょうか。世の中には、いくら自分ががんばっても、思い通りにならないことはたくあんあります。、そういうことが達成できないからという理由で、自己嫌悪の感情を抱いても詮無いことです。至らなかった自分を謙虚に反省して、次をがんばればそれでいい。そして、思い通りにならないことを人のせいにはしない。
 そういう心の持ち方を、私はしたいと考えています。

自己意識による自動操縦
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 「自己意識による自動操縦」ということを、前々回のコメントで紹介しました。
 自分を嫌いな人は、「嫌いな自分」ばかりを注意して見つめているのだから、そのような自分から逃れることはできません。自動操縦は、「〜しない」という否定表現を理解しないといいます。だから、ますます意識している嫌な自分に近づいていく。
 自分を嫌っている人は、前項から説明しているように、自分に理由がないところでも、自分を嫌っていて、本当は自分の一部分でしかない嫌いな部分を自分の全部であるかのように拡大して捉える傾向があります。そうすると、そういう自分からは、絶対に抜け出せなくなる。

 だから、上に書いたように、自分に出来ることは精一杯やって、自分を責める要素をなるたけなくして、悪いところはあまり気にしないで済むようにする方が、よっぽど建設的な生き方が出来ます。
 「好きなところ」「やりたいところ」に夢中になって、一生懸命それをやる。すると、そのような、自分のよい部分が意識の中心に来るから、自動操縦が働いて、そのよい部分がますます伸びる。
 こういうことが起きてくるはずです。

自動操縦は他でも
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 たとえば、「お金がほしい」と思っていても、一方で、「お金儲けをすることは卑しいことだ」と考えていると、いわゆるプラス思考で、いくら「お金を儲けるぞ」と思っても、自己意識がじゃまをして、お金持ちになることはありません。
 たとえば、幼い頃、親が何気なく言った、「〜は歌が下手だ」という言葉によって、「自分は歌が下手だ」と思いこんでしまう。そうすると、いくらうまくなるための練習を意識的にしても、自己意識がじゃまをしてうまくなることは決してない。
 このようなことを起こすのが、「自動操縦」、「引き寄せ」です。
 ですから、いわゆるプラス思考などという薄っぺらなものではなくて、自分が持っている自己意識が、本当に根拠があるものなのか、それともただ一度の失敗、たった一回の幼い頃の他人の心ない一言など、根拠のないことが原因で形成されたものなのか、もう一度振り返ってみることから、始めなければなりません。

 我々の自己意識は、現実にそうあることが出来る自分よりも、自分の現在実現している姿を、根拠もなく、著しく狭めている。
 私も確かに、そう思います。

 だから、やってみようと思ったら、何でもどんどん挑戦してみればいい。
 やってみようと積極的に思わなくても、誘われたりなんかで機会があることなら、「でも〜」と言わずに挑戦してみればよい。
 そうして、自分の世界を少しでも広げてきたいと私は思います。

私の論の今現在の弱さ
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 たとえば、畠山鈴香被告のように、自分の責任でとんでもないことをしでかしてしまった場合に、それをしでかした自分をどう引き受けて、そのうえで、どう生きていくのかということを考える時には、私のこれまでの発言内容では、無責任だ、という印象はぬぐえないかも知れません。
 この点については、どう考えればよいか、考えがまとまりませんでした。今後の課題としたいと思います。

 もしよいお考えがあれば、お知恵を拝借したいところです。

みなさんからのコメント
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 多くの方からのコメントを寄せていただきました。いちいちコメントはしませんでしたが、共感を持って読ませていただきました。
 みんな私以上に悩んでいることが伺われる文面でした。

オーロラさんのコメント
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 足跡から寄らせて貰いました。

揺らぎない信念と文章に圧倒されてしまいました。

私は、自分の中に好きな自分、嫌いな自分、かっこいい自分、そうでない自分など、様々な自分に取り囲まれています。かつて私は、自分に自信が持てず自己嫌悪のシャワーで体中ふやけていました。

 そんな私ですが最近、その時々の自分を、割とリラックスして表に出せるようになりました。(世の中の人は、そんなに意地悪な目で見てはいないかもしれない・・・と感じるようになったからです。)

しかし、今も私を苦しめるのは、他人の話を十分に聞くことができない自分を意識する時です。

 でもでもでもです。みんなこうして苦しんでいるんじゃないか・・・とも思うのです。そして、きっと、止まらない口に、適度に注意出来る自分が出てくるのではないかと思っています。
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 「揺らぎない信念」などありはしませんが、おっしゃるとおりです。
 「他人の話を十分に聞くことができない自分」「社会生活に適応できていない自分」には、どうしようもない絶望感にさいなまれるときが、私も今でもあります。

 りゅうじろうさんのコメントも、私が言いたいことを、うまく要約してくださってますね。
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こんな時、自分のボキャブラリのなさを悔やみます。

おっしゃる通りだと思います。
ただ、私は微妙な精神状態に左右されてしまいます。

いいモチベーションを保つ為にも、モメンタムを引き寄せる力は不可欠でしょうね。
潜在的にオートパイロットに入れて、無限リソースの海で問題を処理していきたいものです。

自分自身でさえ自分が理解できてない
それが理解できてると誤解している事で、他を受け入れる余裕さえ無くしてしまってる方をお見受けします。

少しリフレーミングすれば気付くはずですが、とかく自分では見えないものですね。

これはまさしく他人しか知らない自分でしょうか。

表現は人それぞれですが、どう感じ、どう思考するか、そしてどう覚悟するかだと私は思っています。

自分の文章では、お伝えしたい事が理解して頂けるレベルでないのが悔しいですね。

散文ですみません。
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コメント

  1. りゅうじろう より:

    私の論の今現在の弱さについて思うこと
    そうですね。
    人それぞれでキャパはあるものです。
    私が普段実行していることと、過去に実行したことが
    参考になればと思い書き込みします。
    普段気をつけることは、深刻にならないと言うことです。
    人は、実行可能なことには深刻にはなれないものです。
    普通の健康体の方が、明日という未来を深刻に考える事は
    不自然な思考ですよね。
    深刻になるときは、半ば諦めが入ったときに出てくる感情です。
    そのことからも、深刻にならないよう意識して行動しています。
    ではどうするのかというと
    真剣になることです。
    少し背伸びすれば届くという感情の時にしか真剣に慣れないからです。
    真剣になることが出来れば、半ば成功したようなものです。
    もう一つは本当にキャパをオーバーしたときの方法です。
    私は「ブレークスルー思考」という考えをしています。
    これについては、同名の著書がありますので、ここでの
    説明は割愛させていただきます。
    ようやくすれば、「今は考えない」でしょうか
    私は山口百恵が引退の時、マイクを置いた
    あの感覚に近いでしょうか。(笑)
    参考になれば良いのですが……….

  2. Neko Fumio より:

    りゅうじろうさん
    >深刻になるときは、半ば諦めが入ったときに出てくる感情です。
     確かに、その通りかも知れません。
     飯田史彦さんの「ブレイクスルー思考」。私が書いているのと、かなりかぶりますね。読んでみたいと思います。ありがとうございました。
     http://www.f5.dion.ne.jp/~with/bureiku.htm(上掲書からの要約のようです)

  3. りゅうじろう より:

    仰るとおりです。
    飯田史彦さんの「ブレイクスルー思考」です。
    同名他著もありますので、少し内容を確かめられると
    いいかもしれません。
    ちなみに私は飯田史彦さんの「ブレイクスルー思考」です。

  4. Neko Fumio より:

     とりあえず、『ブレイクスルー思考』飯田史彦、『ブレイクスルー思考のすすめ』 日比野創・日比野省三、の2冊を、図書館にあるかどうか、問い合わせてもらっています。