さすがに、前回の政治ネタは、ちょっと受けが悪かったようですね。
こういう価値観の転換、大事なことだと思うんだけどな。
今回は、うちの坊主について書いた記事に対して寄せてくださったコメントから、私が最近感じていることを書いてみます。
これも直接作文についての話ではないですが、「自己啓発」という分野で、とっても大切な発想を含んでいます。
以下寄せてくださったコメントです。
得意ではなく、ロボット作ったり計算問題をやったり
するほうが活き活きしている・・・そんな子です。
でも、担任の先生が「作文を書く」ことを推奨して
テストの答案の後ろにちょこっとした文章を書いて持ち
帰ってきます。
ママは、「あっくんはさんすうがよくできるね」と
いってくれるけど、ほんとはひきざんがちょっとにがて。
こんな文章を書いてきました。思わず笑ってしまいま
した。「いいじゃん!わが息子♪」ってな感じです。
親ばかですか?・・・いいですよね、親ばかで。
奇遇ですね。
うちの坊主も「あっくん」っていうんです。
自分の子どものよいところを身近で本気で見ているのは、親しかいないですから、親ばかでいいんです。というか、親ばかでないといけないんです。
でも親は、我が子を一番身近で見て、どうにかしたいという部分というのも人一倍感じているので、手放しの親ばかになりきれないんです。
「いい、いい」と褒めようとして、でも、「自分の子なんだから、こんなもんか」なんてあきらめもあったり。
で、「褒めないといけない」と聞いているから、褒めながら、一方で、自分の言葉を半分信じていないというようなことがよくあるんですね。
そういうのはやっぱり子どもは敏感です。
褒めても、子どもは褒められることが最大の喜びだから、それはそれで悪い気持ちはしないけれども、本当にその子にとっての自信にはならない。
むしろ自信というよりも、自分の能力に対する手放しで根拠のない「盲信」とでもいいましょうか。
これ、社会生活をするときに、口ばっかりだとやっぱり嫌われるわけですが、どんなに世間の人が見て、最低で、できっこないと思われていても、おばあちゃんから、「おまえは賢い子なんだ」と本心から言い続けられてきて、この、根拠のない自信があったが故に、自分に対する限界を自分自身で作っていないから、いきなり成功するということは、実際にあるようですね。
だから、親ばかであることをためらっちゃあいけない。
むしろ、みんな、甘やかすことはあっても、手放しで、子どもを認めることができない。
つまり、「親ばかになりきれない」ことが問題だと私は思いますね。
コメント
そうですか。
同じことですね。
でも、
この我々が言っている「親ばか」と、甘やかし。
これは、似て非なるものなので、
その辺の区別が難しいですよね。
みんな甘やかしはしても、
その子のよいところを無条件に受け入れることは、
なかなかやらないんでね。
褒めながら、どっか、白々とした気持ちが漂っている。
こいつ本当にすばらしい
とは思えないで褒めている。
そういう褒め方が割合多いのじゃあないでしょうか。
親でないかもめさんが、
子どもに親しみを感じないのは、
それでいいんです。
私も、
赤ちゃんを見て、
女の方が、
「わあー、かわいー」
なんてやっている。
その感覚
分かりませんでした。
他人の赤ちゃんの、
何がそんなにかわいいんだと。
でも、
自分の子どもを持って、
親以外頼るものがなくて、
こんな自分なのに一生懸命頼ってくれる、
「とおちゃんがおらんと、いけん」
と言ってくれる、
そういう体験の中で、
人がだんだん
「親」に育ててもらうんです。
人ははじめから親じゃあありません。
生まれてすぐの赤ちゃんなんて、
なんだかんだ、
おしっこでも、
5分おきぐらいにして、
さっき替えたばかりなのに
何で泣くんだろうと思って、
まさかと思って、
おしめをさわってみると、
ちょっとおしっこをして、
ぬるっとふくらんでいるんですから、
めちゃめちゃ大変なんですよ。
だから、生まれてすぐの子が、
うるさいなんて殺されるのは、
愛情より大変さの方が大きいわけだから、
そういうのはある意味あり得(う)ることかもしれないんです。
夫が手伝ってくれない母親のストレスも
多分相当なものでしょうね。
夜だって、何度も泣きますしね。
で、原因が分からない。
で、場所を変えてみたら、
そのまま寝てしまったとか。
後からよくよく考えてみたら、
今のような冬で、
ガラスのすきま風が寒かったんですね。
そんなの、その時には分からない。
それで、とにかく泣きまくる。
自分は昼には仕事もあるのに、
寝られない。
でも、我が子の、
自分を頼ってきて、
こんな自分でも唯一の存在として、
大切に思ってくれている姿を見ていると、
かわいいんです。
だんだん大きくなって、
気に入らないことがあると、
「とおちゃんばっかりが、家のことを決める」
といってきたり、
起こそうと思っても、
「何で起こすん」といって
蹴られたりすると、
だんだん手放しでそんなことも言ってられない様にもなってくるんですが。
で、そうやって、
親でないものが、
だんだん親になっていく。
人間の
良さと悪さをすべて、
原型のような形で合わせ持った子どもに触れていると、
「なるほど、
人間って、
こういうものなんだ」
というのがよくわかります。
大人は、
「常に勝っていたい」
とか、
「できるように見せたい」
とか、
下手な知恵が付いて、
それをごまかして出しているから、
醜い生き方をさらしているんですね。
子どもは、
それがストレートに出てくるから、
わがままなんだけれど、
「やっぱりそうなんだよな」
と納得できる。
こういう体験をすると、
他人に対しても優しくなれる。
こういうことがあるんです。
だから、結婚もしていないのに、
子どももいないのに、
子どもがかわいいなんて思う必要はないです。
子どもができたら、
その時精一杯育てる努力をすればいい。
そうやって親になっていくんです。
私写真もやるんですが、
白黒写真で我が子を撮ったら、
他の方は、
まず、私か、我が子かわかりません。
見ていると、
「自分、こんな感じだったのかなあ」
というところばかりですね。
先生に注意されるところ、
そんなこといっても、
自分もそうだったよなあ、
というような。
「とんびが鷹を」なんて訳には、
なかなかいかないようで。
足跡ありがとうございました。
初めてコメントさせて頂きます。
昔電話、子育教育て相談で根拠があって褒めるのは、子供の良い所をのばすのには一番有効だと聞いた事がありました。
とても本が好きだった子でしたので本当に褒めて、褒めて育てました。
今だに、一ヶ月に5冊のペースで読んでいます。
ただ受験生なのにあまりに読んでいるので不安ではありますが…!
こすもすさん、
コメントありがとうございます。
本を読む習慣というのは、
人間に幅を持たせる意味で、
身につけているととてもいいと思います。
それがあるから、
読まない人間より上等だというとらえ方をすると、
ちょっと違う気はしますが。
中学校までは、
読書量が国語の成績に直結します。
高校になってくると、
抽象的な思考が入ってくるので、
それがそのまますぐにというのわけにはいかなくなりますが、
やはり、材料を持っているという点では、
読んでいないよりは読んでいる方が好ましいということは言えますね。
社会人になって問われてくるのは、
何か問題が起こってきたときに、
インターネットでも本でも、
人にすぐ聞くのではなくて、
とにかく自分で何とかして調べようという姿勢ですね。