宿題の答え

みなさんいいところをついている

 数回前の記事、「母ちゃんを悩ませるなー」)について、「これを書いた筆者の意図は何だったのか」という宿題を、出したところ、みなさんまじめに答えてくださいました。
 ありがとうございます。みなさんの答えを見ていると、だんだん答えを書きにくくなってしまいます。

前回出題の意図

 なぜ、上のような問題を出したのかというと、「文章というのは、『自分の伝えたい何か一つのことを、読者に伝えるために書くものだ』」という私の考えを説明するために書いた「母ちゃんを悩ませるなー」から、「言いたいことを伝える」とはどういうことかを、あなたに考えていただきたかったからです。

解答の考察

問題にストレートに答えていただいた解答のパターンは、大きく分けて3種類でした。

その1 昔の話をする中で、思い出される笑い話

 トトコさんの答え
>昔の話をする中で、思い出される笑い話。

 これを最初見て、正直、何でこんな答えが出てくるのかさっぱり見当もつきませんでした。
 しかしよく考えてみると、この文章は、

泣かしはしないですけど
悩ませます(*^−^)ノ(笑)

という、なんとも憎めないメールの返事が結構重要な鍵になっているので、そこを捉えると、こういう答えが出てくるのもうなずけました。
 このメールを見たとき、「周囲に心配をかけながら、温かく見守られて生活している自分を半分自覚しながら、しかし、それにとらわれることなくおおらかに生きている彼女」の答えのユーモラスさを感じて、「あ、これを最後の締めに使えば、これで作文が書けるな」とその途端に思ったのですから、そういう面で、この答えは、重要なところをついているといえます。

 ただし、「文章の目的」ということなら、やはり、

 何のために笑い話をするのか。漫才のように、とにかく笑わせればそれでよいのか、何か目的を持って笑わせるのか。

その辺りを、考えてほしいように思います。

その2 彼女にメッセージを伝える

 やままままさんの答え

昔の話をする中で、思い出される笑い話
その女の子本人に、病まずに生きろ、と伝えたいのだと感じました。

・伝えたい事を効果的に文章にならべる。
・母が「病気がちで…」と話た昔の娘の事。「とにかく生きていてくれれば」
・最後に先生からのメッセージ。母を泣かせるな、悩ませるな。

以上から、病気などせず〜云々となりました。

 これなどが、「彼女にしっかり生きろ」というメッセージを伝えたかったという解答です。
 確かに、最後が、彼女への呼びかけで終わっているので、「彼女への呼びかけ」の内容がメインであるかの印象を受けます。しかし、実はこの文章は、第三者の読者をかなり意識した作りになっています。
 彼女が、どういう人物なのかをかなり方向性をつけて説明しています。それに、私だったら、本当に真剣に彼女に伝えなければならないメッセージなら、絶対に他の人には見せないで、彼女自身に直接伝えます。あなたも、多分そうするでしょう。
 ですから、会って話をしたり、メールのやりとりをしたりして、伝えたいことを、彼女自身に対して伝えた上で、そのやりとりを、他の方にも伝えるべき部分だけをお伝えしていると、そういう風に考えるべきだと、思います。

その3 他の若者に「しっかり生きろ」とメッセージを送る

 その2の解答の変形として、彼女と私とのやりとりを他の方に伝えることで、彼女のような生き方をしている若者に、「しっかり生きろ」というメッセージを伝えようとしているのだ、というような考え方があります。このようなことが目的なら、彼女の人となりを伝えながら、私との関係を語り、メッセージを伝えるわけですから、このような文章になることは、十分考えられます。

 最初、夢遊さんの

特定の読者を意識して書くなら日記でもいいかもしれないってことでしょうか。(https://www.sakubun.info/?p=186#comments
特定の相手を意識してというのは、
一旦他の読者をきりすてて、一人だけに語りかけるような技法もあるっていうことなのかなって考えてしまいました。(https://www.sakubun.info/?p=187#comments

という文章の意味を正確に理解できていなくて、一般的な返事を書いてしまいました。

 あそこで書いた返事は、一般論としていえることですが、多分あの答えでは、夢遊さんを納得させてはいないでしょう。上のようなコメントで、夢遊さんがおっしゃりたかったのは、彼女に直接語りかけるような文章を書くことで、本当はそのメッセージを、「似たような境遇にある他の若者に伝えようとする」、そのような文章技法もあるのではないかということだったようです。
 このことについては、そのような技法は確かに使えるでしょう。ただ、おっしゃるような、「日記なら許される」とかそういうものではありません。先の一般論でも書いたとおり、日常的な事を書かない場合でも、そのような技法が使えるかも知れません。
 それに、このような技法をとるなら、日常の雑事を整理しないで、雑然と書いてもよいということでもありません。

 日常の雑事を整理せずに雑然と書くのと、同じ日常の雑事を書くのでも、何かを訴えたり感じさせたりするために、書く記事と、その順番を選んで書くのとでは、読者は同じ「日記」だと感じても、その内容は、全く違います。
 前者が、私の言うところの「日記」で、後者の場合は、私は「日記」とは呼んでいませんね。
 私が「日記」の説明の文章で問題にしてきたのは、同じように、日常の雑事を描く場合でも、それを書くことによって、読者に何を伝えたいのかを明確に把握した文章を書こうということでした。
 そういう観点からすると、どのような技法をとっても、言いたいことを伝えるのに最適化されていない、「整理されていない記事」を書くことは、望ましいことではありません。
 読者には一見日常の雑事をとりとめもなく書いているように見えても、書き方が、伝えたいことを伝えるために最適化されているなら、それはとてもすばらしい文章なのです。

 ここで、何を伝えたかったのか、という本題に戻ります。
 私のエッセーをこのように読んでくださる方もいくらかはいるかも知れません。でも、もしその目的で、私があの文章を書いたなら、「mixiを彼女の携帯から見た」とか、「マイミクにさせられた」とか、そういうことは一切書かないでしょう。
 その意味では、あの文章のままでは、「他の若者に生き方のメッセ−ジを贈る」という目的のためには、最適化されているとはいえません。

私の意図

 と、みなさんから寄せられたのは、これぐらいのところで、「自分の何かを伝える」というような解答は、結局出てきませんでした。
 私の気持ちに一番近かったのは、夢遊さんが最初の感想を書いてくださった部分でした。

あの日記自体、とりとめのない、ほのぼのとしたお話
で、これも悪くないなあ(失礼)と思いました。(https://www.sakubun.info/?p=187#comments

 私の意図を、誤解を恐れず簡単にはしょって言ってしまえば、「元おちこぼれが、みんなに暖かく支えられて、社会人になってほがらかに生きている。それを見守る元担任とのほのぼのとした交流」というぐらいでしょうか。もっと下心を露骨に言えば、「そういうほのぼのとした交流を描くことで、『Nekoは、よい先生なんだな』という印象を読者に与えること」が、最終到達点になります。

自分のよい面を読者に感じさせるのが、作文だ

 どうでしょうか。この最後の所を読んで、「悪知恵が働くな」と、うんざりしましたか。しかし、「『具体的な情景や、気持ち」を説明しながら、自分の良さを、読者に感じさせるのが、就職や進学の作文なのだ」ということを、しっかりと把握しなければいけません。(https://www.syouron.com/nekoron/?page_id=19

 私が、実際に「どんな教師なのか」は問わないことにして、「元おちこぼれとのほのぼのとした交流」をするというのも、私の一面にはあるわけですね。そうした場合に、その一面だけを切り取って、みなさんの前に提示すると、どういうことが起こるでしょうか。悪いその他のことはみんな隠れて、みなさんが、「よい先生だ」と、私のことを思ってくださるわけです。
 もし私が、「私は、生徒のことを思いやるよい教師です」といくら主張しても、みなさんは、おそらく、「そんなことを大きな声で言うやつは、うさんくさくて、信用ならない」と感じて、「勝手に自分でそう思っておけば」と思うでしょう。それはなぜかというと、自分で判断を決めつけて、相手に押しつけているからです。そのようなやり方をしたら、読者は絶対に、自分の思ってほしいようには受け取ってくれません。
 読者に受け取ってもらうためには、自分が判断をいうのではなくて、「そのような判断をするための材料」を、読者に提示して、読者自身が、「ああ、いい先生なんだな」と判断してくれるようにし向けなければならないのです。(https://www.syouron.com/nyuumon/?page_id=34

悪いところは書かない

 基本的に、就職・進学の作文のように、自分の良さをアピールする文章では、「悪いところ」を書いてはいけません。もし悪いところを書いてしまうと、書いている本人は、謙虚さを出しているつもりなのに、それを判断する人にとっては、「自信のなさ」として映ります。もともと就職・進学作文は、自己アピールを要求されている場なのですから、「出過ぎた、自信過剰の人物と受け取られはしないか」というような、自意識過剰は絶対に捨てましょう。
 もし、「出過ぎた、自信過剰の人物」と受け取られるとしたら、それは、相手に判断してもらうのではなくて、「おれが、おれが」という意識が前面に出ているからなのですから、そのような生き方そのものに問題があります。
 自分の良さを、相手がそう判断してくれるように、遠慮せずにどんどん出していけばよいのです。

 もし、あえて自分の短所をいうなら、それを、よいところを言うために変換して使います。
 たとえば、
「私の短所は、〜ですが、これは別の見方をすれば〜というよいところでもあります」
とか、
「以前は〜という短所がありましたが、これを気をつけることで、今はこうなってます」
とかいうような具合です。

私は露悪的なところがある

 ただし、私のあのエッセーの場合は、自己アピールだけが目的の就職・進学作文とは、感じさせたいイメージが違いますから、上のような意味では、露悪的になりすぎています。
 生徒が来てすぐには出て行かないような場面ですね。これは、あまり褒められたところではないかも知れません。
 私の意図としては、「金八先生のような熱血教師」のイメージを与えたくなかったということがあります。いつでももっともらしいお説教をたれ、生徒思いの行動をする理想的な先生ではなくて、生徒が悪いことをすれば、嫌な気持ちにもなるし、いいことをすれば喜びもする、そういう人間的な弱さを持っている一人間としての教師像を描き出そうとしたところはあります。
 まあそれをやりすぎてしまうところは、あまり褒められたことではない、私の生き方の美学ですね。

彼女の人間的な魅力

 まあ決められたことができなかったり、自分勝手な行動を取ったり、勝手な部分はあるんだけれども、「どこか憎めない、人の良さ」というのは、伝えたい部分ではありました。これが、「笑い」につながっていく部分です。
 これも、金八先生にあるような、「元悪が立派に更生しました」ではなくて、社会生活をするぐらいの適応はしているんだけれども、根本的に人間が変わったわけではない。でも、元からどこか憎めない人の良さ」を持っている。そういう人間として、彼女の人物像を描こうとしました。
 だからこそ、普通の人間の先生と、彼女とがほのぼのとした交流の時を持っている、そういう場面を描こうとしたわけですね。

余分と見える部分

 彼女との交流を描く上で、mixiのやりとりなどは、必要ないと思われるかも知れません。でも、上のようなやりとりを描こうとするなら、「先生のおかげで、今の私があります」というような青春ドラマではいけないのです。
 何気ないやりとりをしていて、あちこちきょろきょろしていて、ついつい手を出してしまう、というような、特別な時間ではない、普段の自分を素直にさらけ出した日常生活の延長で、温かい交流をしているという、そういう場面が必要だったわけです。

結果はどうだったのか

 と、以上のような、意図で書いたのが例のエッセーでした。それが成功したか、失敗だったのかは、みなさんの判断にお任せします。

コメント

  1. ひまわりなつこ より:

    先生がいい先生で、
    でも、金八先生とは違い熱血ってほどじゃなくて(あんまり熱血な人は私が苦手)
    そこがまたいい感じで、
    また、neko先生だけがその生徒を支えたわけではなく
    他の先生との協力もできていて(私は、この部分が好きでした)、人望もあり、
    と、先生のよさをたくさん感じた日記でした。
    日記が先生のよさを示す十分な根拠になっていたとおもいます。
    自分の良さが生かされた出来事を忘れないようにしておくと、
    就職試験でのアピールにとても役立ちます。
    その時々の自分の意思を確認しながら自分で決断行動することが、
    自分の良さをいかす出来事を増やしていくと思います。

  2. BLADE より:

    コメントをもとに、思考を深めていく手法はいつもながら面白いな、と思いながら拝見させていただいています。
    「金八先生」の名前が出てきたので、少しだけコメントを。
    金八先生は自分は嫌いです。
    学校に感動を強要するからです。感動は、何か一生懸命物事をやって達成したときに生まれるかもしれない感情です。TVの演出の方法に良くあるような、感動がなければだめだ、というような何か安っぽい感情は違うと思います。
    もちろん学校に感動の場面がある確率は高いでしょう。しかし強要されるような風潮は解せません。

  3. 夢遊 より:

    >伝えたいことを伝えるために最適化されている
    ここが大切なんですね。
    自分なりにもう少し考えてみます。

  4. Neko Fumio より:

    ひまわりなつこさん
     ありがとうございます。コメントを次に使わせていただきました。
    https://www.sakubun.info/?p=190
    BLADEさん
    >コメントをもとに、思考を深めていく手法はいつもながら面白いな、と思いながら拝見させていただいています。
     お褒めいただきありがとうございます。お寄せいただいたコメントを見ていると、まだまだ、自分の思っていることを伝え切れていないのだということが何となく分かるので、そこを追加する形で、次の日記を書いています。
     コメントを寄せてくださるみなさんのおかげで、このように記事を続けて書くことができます。
     「金八先生」ですね。私も見たくはありませんね。それは、「金八先生」に描き出されるのが、見る者が、望んでいる理想の写し絵だからです。「こんな先生が居てくれたらいいのに」というような理想の先生像。「どんな生徒でも、心底から悪い子どもは居ない」という理想の生徒像。そのような人たちを描き出して、見る者を感動させようとするからでしょう。
     確かに、一面で、その感動は、人間の理想的な一面をうまく描き出しているのかもしれない。でも、教師をやり、生徒をやっていたら、出会うもの、出会うものすべてにそういう理想的な場面であることなど絶対にないわけです。先生もそんな聖人君子であるわけではないし、どんなに思っても、その思いが伝わらないこのとほうが多いのが、現実の社会です。
     ですから、生徒の立場だったら、そういう社会(学校)で満たされない、自分の不満が、テレビで満たされて、「理解してくれない周りが悪い」という責任転嫁ができるので、多分面白がって見るのでしょうが、教師の立場から見ると、「そういう理想的な教師でないおまえが悪い」と責め続けられているようなものなので、そういうものを、進んでみる気にはなれないのです。
     おっしゃっていることと、重なる部分があるような気がしますが、もしかしたら、熱血教師ではない私とは、BLADEさんの思いは違うかも知れません。
    夢遊さん
    >伝えたいことを伝えるために最適化されている
    これが、私が文章を評価する上での、絶対の基準です。作文指導でも、ほんとこれしか言っていません。
     後は、どれだけ内容を深めることができるかということ。

  5. トトコ より:

    Neko先生こんにちは
    すごく、頭がすっきりした気分です。素晴らしい解説ですね!!
    笑わせる必要性は、憎めない人柄を表現するためですね。
    また、違ってたらごめんなさい。
    でも生徒のこととか、エッセーに書いて怒られているのではないかと、内心、失礼にあたらないかと、ひやっとおもいまいした。
    怒ってなくてよかったですね!!
    2回目エッセーを読むと、Neko先生の文章がちがってみえました。

  6. Neko Fumio より:

     お褒めいただき恐縮です。
    >笑わせる必要性は、憎めない人柄を表現するためですね。
     そうですよ。その「憎めない人柄を表現」しながら、自分の描きたいことを伝えていくためです。
     書かれる本人の気持ちもあるので、みなさんに公表する前に、本人に発表してよいかどうか、一応、見せた返事が、前に引用したようなものでした。特に今回のような内容の場合、書かれる本人の気持ちに対する配慮は、絶対に必要でしょう。
    >2回目エッセーを読むと、Neko先生の文章がちがってみえました。
     コメントに書いていただいたことを参考に、少しだけ言葉を換えましたので、その影響も大きいかも知れません。

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