宿題の答え、依然募集中

前々回依頼の中身

前回の記事に対する夢遊さんのコメント

特定の読者を意識して書くなら日記でもいいかもしれないってことでしょうか。

私としては、こういうことが書かれているとは予期していませんので、あれを読んだときは、少しがっかりしました。
それで、コメント要請と今回の宿題で最低3回読むことになりましたよね。

コメントに赤点のことを書いたのは、軽い受け流しのつもりでした。

>あれを読んだときは、少しがっかりしました。
というようなコメントが、ほしかったのですね。
それと、なぜがっかりしたのかの理由。

 「その文章を、文章技術の解説に使おう」などという後からの使用目的と、その文章そのものを読んでの感想とは、また別のことですので、
>こういうことが書かれているとは予期していませんので
というような、裏の部分は、この場合考えない方がいいです。

人づきあいでも何をどうやって話すか考えるでしょう

>特定の読者を意識して書くなら日記でもいいかもしれない
 おっしゃることがよく分かりませんが、日常の風景をあれこれ書く、いわゆる日記風の文章でも、その文章で、伝えたいものをはっきりと把握しながら、それを伝えるために書くのなら、それはそれで何も問題はありませんよね。
 後は、個人情報の流出や、他人への配慮といったネットリテラシーの部分を、きちんと配慮しておけばよい。

 しかし、自分が何を伝えようとしているのか、いまいち把握しないまま、苦しい胸の内を、あまり整理せずに、「ばー」と親友にぶちまけるような日記なら、そんなものはあまり感心しないと私は思います。
 リアルの世界で、あなたは、このようなやり方で接することができる人を何人持っていますか。本当に少ないですよね。
 その他の人に対しては、自分のどういう面をその人に見てもらいたいか、それを考えながら、見てもらいたい部分を選んで、そういう自分として、その人と接しているはずです。
 ところが、リアルの世界だったら、そのようにしながら人と接している同じ人が、ネットの世界になると、不特定多数の読者に向かって、自分の悩みをどばーとぶちまけるようなことを平気でやってしまうのですね。
 少数のマイミク限定の文章ならまだしも、不特定多数の読者に向かって、このようなことを平気でやってしまう危うさはやっぱり知っておくべきでしょう。
 だって、リアルの世界で、自分の心の内を、会う人会う人にすべて、どばーとぶちまけて、誰か自分の相手をしてくれそうな人がいないかと捜している自分を想像すると、ちょっとぞっとするでしょう。
 そんなことを、ネットの世界で平気でしてしまうのは、リアルの世界で、そういう対話ができる人のいない寂しさと、ネットという相手が目に見えない世界ということで、妙な幻想が起きてしまうことが、原因なのだと思います。

 私が、「日記を云々」と書いてきたのは、このリアルの世界だったら、当然考える、自分のどういう面をどういう相手に見てもらいたいのかということを、きちんと考えてから文章を書きましょうという、当然と言えば当然のことを言おうとしたまでのことです。

 そして、皆さんが文章を書くとき、特に日記風の、日常の様子を書くような記事では、あまり言いたいことを整理せずに、あったことを、あった順番、体験した順番、考えた順番に、書こうとすることが多いので、そういうことをせずに、伝えたいことを伝えるために、必要な部品だけを、効果的な順番で並べて、文章を組み立てましょうということですね。

 そうすることで、あなたの書く文章は、日記風の文章であろうと、随筆、小論文であろうと、確実に変わります。

人を引きつける、徹底的にこだわった何かがあるか

 以前、りえたん@檄!鬱中さんから、南条あやの日記をコメントで紹介していただきました。

インターネット黎明期にネットアイドルの魁的存在となり、
ブログもまだない時代にホームページに日記を綴った女子高生です。
惜しくも、高校卒業後にお亡くなりになられましたが、
ネットの日記『卒業式まで死にません』が発刊されています。

 私が紹介した高野悦子の『二十歳の原点』にしても、この南条あやの日記にしても、私的な、私が言うところの日記であるにもかかわらず、絶大な支持を受ける理由は、分かるような気がします。
 何か自分がぶち当たった人生の課題に、それこそ命を削るようにして取り組んで、その精神の軌跡を日記に、延々とつづっているからですね。
 このような場合は、何かのきっかけで、その文章に触れると、その人のファンになってしまうことは、十分にあるでしょう。
 それでは、あなたの書く日記に、それだけの人を引きつける何かがあるかということですね。
 もしないなら、あなたをもともと個人的に知って応援してやろうという人でない限り、あなたの文章を読んで、あなたの読者になってくれる人というのは、おそらくほとんど期待できないのではないでしょうか。

 まあしかし、高野悦子にしても南条あやにしても、「ああでもない、こうでもない、またああでもない、こうでもない」で、何か言ってあげても、やっぱり「ああでもない、こうでもない、またああでもない、こうでもない」だと、その人の抱えている問題を、同じように共有しているか、よっぽどその人に関心がある人でない限り、普通の友人レベルだったら、確実にうっとうしくなって、離れていくと思います。

 そういう意味で、特に取り立てるほどのことがない日記に、反応してくれる人を求めようとするのは、「傷のなめあい」にしかならないのではないか、と言ったわけです。
 私としては、できれば、「その傷にどう立ち向かおうとしているのか」という自分の立場を、少なくとも、自分自身懸命に把握しよう、確立しようとしている、そういう大人の文章を期待したいところです。

宿題の答え

 トトコさん
>昔の話をする中で、思い出される笑い話。
 なるほどね。「笑い話」ですか。

これを読んだ、本人からの最初の返事が、 

わぁぁo(^-^)o

私の事だっ(笑)

かなり笑える日記ですね(笑)
ニヤニヤしながら
読みましたよ(^O^)(笑)

こうでしたから、そういう解答もあるかもしれません。
 でも、何のために笑い話をするのですかね。漫才のように、とにかく笑わせればそれでいいのか、何か目的を持って笑わせるのか。どうなんでしょう。

 やままままさん
>健康に気をつけて、永く生きなさい
 何で、健康が出てくるのか、ちょっと私には分かりかねますね。
その発想の過程も、説明してもらわないと。

コメント

  1. 夢遊 より:

    Neko先生
    私があの日記を読んで、少しがっかりしたというのは、
    前のお話が思考と文体の関係だったので、その続きを
    ききたいなって期待していたからです。
    あの日記自体、とりとめのない、ほのぼのとしたお話
    で、これも悪くないなあ(失礼)と思いました。
    でもわざわざ横からコメントする話でもないと思って
    いったんはそのまま閉じたわけです。
    で、コメントを書くように宿題がでましたので、
    困って書いたのが、赤点といえば・・・という話です。
    特定の相手を意識してというのは、
    一旦他の読者をきりすてて、一人だけに語りかけるような技法もあるっていうことなのかなって考えてしまいました。
    私はニュースに絡めて意見を書いているんですが、リアルの世界ではなかなかそういう話はできないですよね。
    リアルの世界でないから、かえって本音をぶつけ合えるってこともあるのかなって思いました。

  2. やまままま より:

    あの文章を読んでその女の子本人に、病まずに生きろ、と伝えたいのだと感じました。
    ・伝えたい事を効果的に文章にならべる。
    ・母が「病気がちで…」と話した昔の娘の事。「とにかく生きていてくれれば」
    ・最後に先生からのメッセージ。母を泣かせるな、悩ませるな。
    以上から、病気などせず〜云々となりました。
    勘違いしていたらすいません。宿題なんて久々で、嬉しくてついコメントしていました。 

  3. ひまわりなつこ より:

    読みながら感じたそのままの感想
    ■昨年まで彼女の同じ学年を一緒に持ち上がった先生と話している。
    読解に時間を要したところです
     (複文はやはり読み解くのに難しいなあ。)
    ■「まあでも、今出て行かないでも、ちょっとほおっておくか。在学中も、彼女を追いかけ回すのに疲れたし」と、知らない顔をしておいたら、
    昔見たテレビドラマを思い出し、ほのぼのする展開を想像しました。
    ■「それでも、ここに居るのに、隠れて出て行ってやらないのは、やっぱりかわいそうか。ひでえ元担任だな」とか思いながら、葛藤していると、
    (先生その時忙しかったのか?彼女のこと苦手なのか?)と、
     先生の心情を想像したところです。
    ■そこでひとしきり、1年生の時の、お母ちゃんとの懇談の話し。
     「遅くにできた子だもんで、小さい頃病気がちだったし、生きていてくれさえすればいいと思って育てた」と、そういう話しをなさっていた。そのことを思うと、涙が出てくるなあ、というような話し。
    読解力を必要としたところです。
     (外の先生と彼女の話?NEKO先生の昔の思い出?いや、前者だな。)
     (ふうん、身体の弱い子だったのね。だから甘やかして育てて、
     結果先生を困らすこともするようになったのかな?)
     (つまり、昔からいろいろな意味で手のかかる子。逆にいえば愛情をもらう
     チャンスのあった子ってわけね。)
    ■思えば、赤点赤点に追いまくられながら、多くの人に支えられて、今の彼女がある。( 中略 )  就職して、初めて訪ねてきたときには、「おまえまだ続いとんか」と思わず本気で失礼なことを言って( 中略 )
    少しは敬語を使おうという意識がある。
    いろいろ考えたところ。
     (彼女は支えられながら大きく成長したのね)
     (先生と彼女は良好な関係なんだろうな。そうでないと、本音はだせない)などなど。
    ■一年生の時には、「部活」と称しながら、部活には出させてもらえないで、
     (これは彼女のこと?Y先生のこと?二人のこと?
    ■「まだ出していない宿題を図書室でやりなさい」と、運動部なのに、宿題のおもりばかりしてもらっていたY先生。
     (彼女はY先生が顧問の部に所属していたのかなあ?)
    と、言うように、少し読解に手間取ったところ
     (思いが深いから、読み手を意識するより、自分の気持ちに向かっているんだな)と思った。
    ■この人達がいなかったら、今頃はどうなっていたことか
    (先生の学校はいい学校なんだな)と思ったところ
    ■そういう、涙が出てくるような話をしていて、
    (あれ、いつ出て行ったんだ?まあ、いいか。結局あったのね。
     彼女喜んだよねえ )と 思ったところ
    ■ふと、パソコンの画面のmixiを見つけられて、
    (おや。先生学校でミクシーやってたの?生徒さんとのやり取りにも使っているのかな?)と思ったところ
    ■強制的に、マイミクにさせられてしまった。
     ついにリアルの知り合いがマイミクに追加。
    (私も、今日、リアルな知り合いがマイミクになったけれど。
     偶然同じだわあ。)
    (同じ経験をしたのがちょっとうれしい。)
    (私の場合、あえて身をきる内容も書くから、結構、覚悟がいったのよね。)
    ■初めて携帯から自分のmixiのページを見るということを体験。( 中略 )想像したよりも、読みにくくない。
    (先生よかったですねえ)と思ったところ
    ■そんな彼女との、その後のmixiでのやりとり。〜 最後まで
    メッセージで交換したのかな?
    (たまにメッセージのほうがいいのにと思うコメントを、書いてくれる人
     がいるけれど。これは対処に困るのよネエ。
     削除か、そのままうまく広げて活用するか悩むところ。
     きわどい時もあるなあ… )と、自分のことを考えたところ。
    読み終わっての記憶に残った感想
    ちょっとわかりにくいところがあったなあ。
    どうして急に日記をはじめたんだろう。
    別の作文の先生も同じ日に日記をはじめたから。あちらはお酒の話ばかりだけれど、はやりか?いや、同じコミュニティーに参加しているから二人はお友達かしら。
    日記になると、先生の文がちょっと乱れたように感じるのは…
    思うままにかくと、さすがの先生でもこうなるってこと?
    などと思ったので、これはさすがにコメントできないなと思い、
    また、自分のほうの日記にも手をかけていたので、コメントしないまま、閉じました。
    これが、読んだ直後に感じたそのままです。
     

  4. トトコ より:

    Neko先生こんにちは。
    エッセーは。文章を組むのにいろんなパーツがそろっているように、おもいました。あんまり、がっかりかんは、なかったです。
    小論文のホームページも作っていらして、文章に詳しいという、先入観でしょうか・・・。
    話はそれてしましますが。笑わせたり、泣かせたりする、文章は個人的にスキです。
    答えは、言葉にしない、母ちゃんなかすなよ、という気持ちと、生きるか死ぬかのときもあったみたいだけど、敬語を話そうとする彼女から、
    今では社会人ということもあり、出てきた答えでした。
    笑わせる目的は・・・。文章にかかれている、どこかに答えがあるのか、わかりませんでした。 

  5. Neko Fumio より:

     皆さんありがとうございます。
     あの文章を受け取ったときの皆さんの、このような思いをお聞きしたいと思っていました。皆さんのコメントを読んでいると、あまり文章が成功していない部分もあるようで、答えを出すのが恥ずかしくなってしまいます。

    日記を一部修正(推敲)します

     ひまわりなつこさんの指摘は、さすがに鋭い。書いているときに、ちょっとどうかなと思いながら、そのままにして出したところが、やっぱり推敲不足だったようです。文章を書くのは、難しいです。
     おそらく問題点は2つ。
     1つめは、「昨年まで彼女の同じ学年を一緒に持ち上がった先生と話している。」
     ちょっとわかりにくいので、「去年卒業した彼女の学年を、一緒に持ち上がった先生に、聞いている。」に変えたら、すっきりしますかね。
     もう一つはいつ彼女と会ったのか、というところ。

    葛藤していると、また例の声が近づいてきて、げはがは言いながら、「Neko先生」とか何とか、言っている。

    この最後の表現も、どうしようかと思いながら、この辺りの表現にとりあえず落ち着かせていました。しかしこれも、やっぱりもう少し工夫すべきでしたね。

    葛藤していると、ようやく居場所を探し当てたようで、また例の声が近づいてきて、げはがは言いながら、「Neko先生」とか何とか、顔を出した。

    に変えることにします。
    もう一つ追加で、
     「運動部なのに、宿題のおもりばかりしてもらっていたY先生。」の「Y先生」の前に、「顧問の」を挿入。

    みんな読むに足る情報を求めている

    夢遊さんの

    私があの日記を読んで、少しがっかりしたというのは、
    前のお話が思考と文体の関係だったので、その続きを
    ききたいなって期待していたからです。

    というのは、おそらくそのように考えている方が多いだろうなと、思っていました。
     というのは、以前にも書いたとおり、皆さん私の所に来てくださるのは、Neko Fumioという人物に興味があるからではなくて、Neko Fumioという人物が書く、文章論に興味を持ってくださっているからです。
     だから、Nekoの個人的な感想を漏らした日記を読まされて、うんざりする方がいるのは、当たり前です。
     これまでにもくどくお話ししたとおり、皆さんがホームぺージなり、mixiの日記なりを訪問したいと思うのは、やはり何らかの意味で、読むに値するもの、すなわち情報を探しているからであって、はじめから、あてどなく人間的なつきあいができる他者を求めているわけではないということです。
     その後に、人間への興味が出てくるのなら出てくるのです。
     ですから、未整理のまま、自分を「どばー」と出すような日記ではなくて、何らかの意味で、読むに値するような記事を出すように心がけていかないと、結局、「日記を読んでくれる人が少しでも増えるといいな」という淡い望みもかなわないことになるのではないかと、私は考えています。

    表現技法・誰を対象とするか

     表現技法というのは、色々な工夫ができると思いますから、できるところで、実験的にやってみればよいと思います。
     「一人だけに語りかけるような技法」を使いながら、結局はそのメッセージを他の人にも印象的に聞かせるというようなやり方というのは、確かに人に聞かせる有効な方法の一つかも知れません。
     たとえば、私のこの日記のコメントのやりとりでも、キャッチボールをしている直接の相手は、一人の方でも、それを横から眺めながら、私が言おうとしていることを、みなさんがはっきり理解するという、そういうことがありますよね。
     そういうやり方を、自分を分かってもらうための手段として、意図的に使うということでしょう。

    宿題の解答に関すること

     後、宿題の解答に関することについては、今後の日記に話題を持ち越します。
     あまり期待しないで待っていてくださいね。

  6. Neko Fumio より:

     やっと、答え?を書きました。
      https://www.sakubun.info/?p=189

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