なかなか仕事が忙しくて、返事を書けないでいる間に、たくさんのコメントをいただきました。ありがとうございます。
やっぱり正確に気持ちを伝えるのは難しい
トトコさんが、おっしゃるように
解説はありがたく、読ませていただいてます。しかし、正確に捉えることの難しさを感じます。というのも、都合よく解釈することがあるからです。
文章の作り方がわかってくれば、きちんとかけるし、読めるとなってくるのだと、わかりました。(HPを拝見して)
構成などの、知識が増えてきたら、違った伝え方ができるようになるのが、少し楽しみです。
「正確に捉えることの難しさ」もさることながら、「都合よく解釈」させないで、自分の思いをきちんと伝えることの難しさを、これだけ書いててきて、初めてしみじみと実感している次第です。
「今更ながら」かも知れませんが、書いたことに対してこれだけ反応をいただいて、初めて分かることなんですねえ。
「文章のとらえ方の違い」が面白い
ふくちゃんさん
少し驚きました、人によって文章の捉え方がそこまでちがうのかと。
面白く拝見させて頂きました、猫先生の真面目さが伝わってきます
勉強になりましたし、また拝見したいと思いました
ただ、私の知り合いに国語の先生がいるのですが、
その方が経験されたある出来事の前に似ています。
猫先生を否定するつもりは全くないのですが、
もう少し物事を柔らかく、もしくは「丸く」見て欲しいです。
正しい事だけが正解ではないと私は思うのです。
勉強になりました、有難う御座います。
また、私も変化して行きたいです。失礼しました。
本当に、「文章のとらえ方の違い」は面白いですねえ。
これは一つには、これまでとの客層の違いも実は、あるのです。というのは、これまで、「文章が上手く書けません (13040)」というコミュニティに足跡を付けていたのが、2日ほど前から、「プロ仕様・文章作成技法 (26949)」に足跡を付けだしたら、途端に批判的なコメントが返ってくるようになりました。
足跡を見て来てくださっている方が多いので、それぞれのコミュニティーに集まっている方の、層の違いが反映されているのでしょう。
ご心配ありがとうございます。袋だたきにだけは遭わないようにしないといけませんねえ。
まあ、賛成がなくなって、手に負えなくなったら、さっさと退散することにいたします。
実は、8日に下のようなメールを立て続けで、同じ方からいただきました。書いた方のために、あまり露骨にそのまま引用する気はなくて、差し上げた返事だけを書こうかと思っていたのですが、ついでですから、参考までにみなさんに見ていただきましょう。
あなたはこれをお読みになって、どのように感じますか。
失礼ですが
人の文章についていろいろ言ってらっしゃいますが、
あなたの文章を読んでいると冷たい、嫌な気持ちになります。
本当に失礼ですが
こんな国語の先生には正直教えてもらいたくないですね!
ほんとにこれが「国語の」先生?なんと偏狭な人でしょうか。文章に情感がありません。結局一言で言えることを長々と。大嫌いになるタイプの先生です。生徒からあまり慕われてないでしょう。
「それでいい」人には、いらぬお節介をする気はない
前回の日記でも、「『それでいい』人には、いらぬお節介をする気はない 」ということを、書きました。
私は、mixiの日記や、2ちゃんねるの板、メールなどの文章を取り上げて、「国語の授業で書くような文章を書くべきだ」などという、「お説教」をたれたくて、このような日記(文章を)を書いているわけではありません。そういう文章がいいと考えて、それだけに満足している方は、私が好きか嫌いか、どのような感情を抱こうと、それは、私の勝手な感想で、みなさんには関係ないことですから、私の感想などどうでもいいことです。
それに、もしかしたら、おそらく、私の書いていることに賛成してくださる方も、反対してくださる方も、私が許すことができる文章は、国語の教科書に出てくるような、本当に限られたものだけだというようにかなり限定して捉えておられる。
私自身はそういう文章は書かなくても、メールなどで顔文字を使う効用があることを認めていることも含めて、私が書いていることに賛成してくださっている方よりも、私の方が、「まあいいじゃん」と思っている範囲は、たぶん広いのではないかと、密(ひそ)かに自分では、思っていたりします。
それでは、なぜ、ここまでのような記事を、私が書いてきたのか、ということです。
それは、最近問題にしてきた、「!」「?」などの記号、「今日この頃」「(笑い)」という言葉、それに、国語の授業で、表現技法といえばすぐに出てくる「倒置」「体言止め」などを使うことで、本当は、自分が伝えたいことを、自身はっきりと捉えることができていないくせに、「伝えたいことをはっきりと把握しているし、それを効果的に伝える文章が書けた」と、筆者が錯覚させられてしまう危険性が非常に高いから、その毒性に十分気をつけるべきだと、私が、考えているからです。
本当に効果的なら、これらを使えばいい場面も、確かにたくさんあるのかも知れません。でも、このような表現しか使わない、もしくは使えないとすれば、それによって見えなくなってしまうものがある可能性が多分にありますよということを、自分の文章をもっと見直して、少しでもよい文章を書きたいと思っていらっしゃる方々に、伝えたいと思っているだけなのです。
以前、「です・ます」でしか文章を書かないことについて、問題にして、このときも、「文体論争」のようなものになってしまいました。
この「です・ます」も、「だ・である」が高級で、「です・ます」は低級だ、というような議論をすれば、それはやっぱりわがままなだけでしょう。「です・ます」でなければならないような場面も、やはりたくさんありますから。
でも、これについても、「です・ます」しか使わない、もしくは使えないとすれば、それによって見えなくなってしまうものも多分にあるのです。
そのようなことを、文章をまじめに考えたいみなさんに問題提起しようというのが、私がこの日記を書いている時の、根本的な発想法です。
自分の否はみんな認めたくない
ところが、このような問題提起をすると、そのような文章しか書かないし、それでいいと思っていらっしゃる方からすれば、自分を非難されているように感じるのです。誰でも、私でも、自分の考えが及ばない部分をズバリと指摘されると、認めたくなくて、色々反論したくなります。
顔文字でも、「!」「?」でも、「(笑い)」でも、必要に応じて、、本当にもしそれが必要なのなら、どんどん使えばいいのではないでしょうか。
しかし、どのような場面でも、それでいいと思っている、それしかできないとすれば、やはりそれは問題でしょう。だから、本当に、適切に時と場合に応じて、表現の使い分けができるように、やはり、国語の教科書のような文体を要求されている場面では、そういう文章も書けるように訓練しなければならないわけですね。
もし「そういう文章は、知ったかぶりの人が書くくだらない文章なのだ」という先入観を抱いて、毛嫌いしている方があるとすれば、それは、「井の中の蛙」です。
そして、そういう文章も書ける、顔文字などを使った文章も書ける、となったときに、あなたが、今度はどういう文章の好みになっているかということは、とても興味深い所だと思います。
コバルト文庫などでは多用される、「!」「?」が、純文学の世界ではそれほど使われないというのは、私のような頭の固い頑固親父が、頑固な主張をしているからではなくて、やはりそれなりに理由があるのではないでしょうか。
世間の人に対して、「日本語の乱れ」を正そうとする気持ちなどさらさらない
国語の教師としては、ある程度世の中の、「日本語の乱れ」は、気になりますし、自分の生徒たちに対しては、「乱れ」ていない日本語を使うことができるようにする責任がありますから、きちんと指導しようとはします。
しかし、世間一般の人たちに対してまで、「日本語の乱れ」を正そうとする気持ちなど、私にはさらさらありません。
もしそんな考えを私が抱いているとすれば、私は、とても、「鼻持ちならない、傲慢な野郎」でしょうね。
このように書くと、前回書いた、「これまで積み重ねてきたよいものを、守る努力を最大限しなければいけない。」という私の発言と、今書いたこととが、矛盾するように思われるかも知れません。
しかしこの、「これまで積み重ねてきたよいものを、守る努力を最大限しなければいけない。」というのは、我々日本語を使う者全体が考えるべき視点として、捉えたときの考え方です。
ですから、これを私自身の身に即して考えるなら、自分自身の言葉遣いを考えることと、自分の生徒の言葉遣いを考えさせること、この二つになります。
世間の人に対して、私が啓蒙活動をしていこうとしているという、そういう意味ではありません。
BLADEさんの
この点に関しての関わり方が私とNekoさんの違いです。
Nekoさんは、国語という教科に携わり言葉に関しての知識・感受性が強く、言葉はこうあるべきだ、という強い信念が日記を通して伝わってきます。
昨今のいわゆる「日本語の乱れ」を許せるのか、許せないのか。Nekoさんと私両者は嫌悪感を抱いています。
Nekoさんは、乱れを打ち砕く、もしくはくいとめるために変化に対し積極的な活動をされています。
というように、評価してくださっているのは、そういう意味では、買いかぶってくださっているのかも知れません。
私は、「日本語の乱れ」が気になる、許せないから、これまで書いてきたようなことを、言っているのではなくて、その「日本語の乱れ」と言われている現象によって、書いている本人が、自分の書いていることを捉えにくくなっているという事実があるから、それを問題として取り上げているのです。
「『伝達』の手段」として有効か
こうのすけさんのとらえ方についても、
たしかに、そりゃそうだとは思うが、中年側は、文章は「伝達」のみにその意味があるのではない、と思ってしまう。たとえば、全く知らない、文化の異なる相手に何かを「伝達」するには、工夫が必要である。どうやったら相手に伝わるのだろうかと考え、どういう言葉を、どのように使用すべきかこだわる。もちろん知っている人であっても、自分という人間が、その文章を通してどのように映るのかを気にしながら書いていく。これが「表現」の始まりではないだろうか。
しかし、若者の文章を「伝達」の手段として評価するか、「表現」のレベルの低さを非難するか、そういう対立は水掛け論に陥りがちだし、面白いものではないだろう。もちろん文章を「伝達」と「表現」にきっちり分けることは出来ないし、分類して若者と中年の対立構造を分析したというつもりもない。ただ対立する双方の理屈の根拠になるところがずれているのではないかと思うのだ。
若い世代の言葉と、それに対する中年以上の世代の嫌悪感という構造は、いつの時代にも生じるものなのだろうが、大切なのはその対立の特徴は何かという事を少しでも明らかにしていき、議論の中身を充実していく事ではないかと思う。
私は、上述の「しかし、若者の文章を〜」以下の段落のような、回顧老人のような立場から、発言したくはありません。本当は、そういう側面も、多分にあるのかも知れませんが。
「『伝達』の手段として、若者の新しい表現をどう評価するのか」、ということを考えていきたいですね。
確かに、「ある種の感覚を伝え合っている」ということは、いえるのでしょう。しかし、本当に、「感覚を伝え合っている」といえるのかどうか。むしろ、「伝え合う」のではなくて、「丸ごと飲み込んで感じ合っている」だけなのではないか。「感じ合う」ためには、有効に働いているのだろうけれども、若者同士の間でも、それを、さらに、「伝え合う」所まで深めていくためには、やはり、このような、表現だけでは足りない場面もでてくるのではないかと、私はそのように感じています。
もちろんそれが、異世代同士の交流となると、この側面がもっともっとクローズアップされてくるはずなのです。
このようなことを、こうのすけさんも、この文章の前半部で、説明されたかったのではないでしょうか。
情感が足りない!?!
上の、「失礼ですが」のメッセージと共通する考えの面白い投稿を、サンタまりぁさんがしてくださいました。
謹んで貴殿の日記拝受いたしましたw(藁)
「王侯貴族に召し抱えられ虚空の美を描く宮廷画家たれ」と言われたような感じを受けました。
というのも、ここは日記を書くことで成り立っています。論文を投稿する場でありながら、「(笑)?!」などが多用されているのであれば、おっしゃることも理解できますが、日記は論文と違い、作者が思ったまま感じたままを表現すればよく、客観判断や反論への考察は必要ないように思います。
Neko Fumio様の主張される事を突き詰めれば、
タイトル
「郷愁」
本文
気がついてみれば、もう五年も田舎に帰ってなかった(笑)
んで、久々にオフクロに会ってきたww。
『別に、腹減ってねぇから、いらねぇ』って言ったんだけど、
カレーライス作ってくれてね・・・・・
あっ、カレーっつっても、ジャガイモだらけの『肉じゃがかっ!!』
って突っ込みたくなるようなシロモノでねぇ・・・
食べたんだけど、ちょ〜美味かった!!(泣)
これは論外となるんでしょうか?
文頭の(笑)は冷笑なのか?微笑なのか?爆笑なのか?嘲笑なのか?
贅言を要すものではなく、読者が作者の個性を感じ取り読み進めるものではないでしょうか?
あえて心情を詳細にわたり書き記さないことで伝える、それを読み取れる共通の感性で成り立つコミュニケーション方法というのは、ある意味、洗練されたもののように思います。
同列に語るのは乱暴ですが、短歌や俳句などは、文字数にあえて制約し作成されています。どこかそんな感覚に通じるものも感じます。(サブカルチャーではありながら)
独りよがりなディテールにこだわった冗長な駄文よりも
?!絵文字も使いわけで、要約効果があがると思うのですが・・・。
>ここは日記を書くことで成り立っています。論文を投稿する場でありながら、「(笑)?!」などが多用されているのであれば、おっしゃることも理解できますが、日記は論文と違い、作者が思ったまま感じたままを表現すればよく、客観判断や反論への考察は必要ないように思います。
という部分については、もう既に述べたように、mixiの日記だ、論文だ、という風には、議論を限定せずに、文章全般について考える立場から、私はこの日記を書いています。
その場・その文章に応じた書き方を選択するという立場ですね。
面白いので、こういう立場から、書いてくださった例文に乗ってみることにします。
これ、mixiの日記で、普通に書かれるような文章ですね。
かなりましだが、「(笑)」はいらない,記号ももっと工夫して,どぎつくしない
そうですね。「これは論外!」とは言いませんよ。まだかなり、ましな方ではないでしょうか。
それはなぜかというと、「この文章で言いたいこと」に、フォーカスが一応当たっているからです。言い換えれば、「この文章で伝えたいこと」が一応あって、それを伝えようとする文章になっているからです。
ただ本当にこれが、「あえて心情を詳細にわたり書き記さないことで伝える、ある意味、洗練されたコミュニケーションの方法」といえるのでしょうか。それには大いに疑問を感じます。
私だったら、同じ記号を使うにしても、下のような具合にしますかね。
「」で済むところを、『』にするのも強調ですからいりません。
別に、「?」も「!」も、必要ありませんし、無い方がいいような気はします。ですが、元の文体が文体ですから、それを生かすためには、これぐらいは、残しておいてもいいでしょうか。
「オフクロ」の片仮名表記もね。本来は、これも、いらぬ強調ですが。
「オフクロの味」
んで、久々にオフクロに会ってきた。
「別に、腹減ってねぇから、いらねぇ」って言ったんだけど、
カレーライスを作ってくれてねぇ。
カレーっつっても、ジャガイモだらけの「肉じゃがかっ?」
って突っ込みたくなるようなシロモノなんだけど……
でも、食べたら、やっぱりちょっと美味かった!
>気がついてみれば、もう五年も田舎に帰ってなかった(笑)
に「(笑)」が必要ですか。
「(笑)」というのは、「もう五年も田舎に帰ってなかったことに、気づきもしなかった自分に対して、「何らかの感情を筆者が感じているよ」ということを、読者に伝えるための、照れ隠しの表現です。そういう自分を「笑う」というポーズ。
その結果、故郷に帰らない自分が薄っぺらくなってしまっています。
「作者の個性を感じ取りながら、読者に読み進めてもらう」ためには、そういう「笑い」に限定したポーズを出さない方が、読者が勝手にイメージをふくらませてくれるのではないでしょうか。
「(笑)」とあえて限定しないことで、「忙しくって、気づかないほどだったのだろうか」とか、「何かつらいことがあって、ふと故郷のことを思い出したのかも知れないな」とか、忘れていた理由と、気づいた状況とを、読者の身に置き換えながら、読者が自由に想像をふくらませて読んでくれるのです。
ところが、そういう自分を出すのが照れくさいから、「(笑)」と照れ隠しをしてしまうのですね。
>食べたんだけど、ちょ〜美味かった!!(泣)
ここのところは、この文章の主題と関連してきます。この文章で伝えたいことは、「オフクロの味にほろっときた自分を、戯画化して示すことですか。
この元の文章では、「オフクロの味にほろっときた」自分は、「ちょっと笑えますね」というように、「ほろっと来た自分に対して、それを素直には示せないで、てれを感じながら、斜に構えて見せているような雰囲気を、「(泣)」で、醸し出しているのです。
その結果、「オフクロの味を感じる自分の姿」が、変に薄っぺらくなってしまっていませんか。
ジャガイモだらけの「肉じゃがかっ?」って突っ込みたくなるようなカレーって、本当に、「ちょ〜うまい」というような代物でしょうか。本当はそうでもないのに、そう感じてしまう自分があるのではないでしょうか。
そして、それは「ほんとうはそれほどうまいといえるほどの代物でもない」のに、それを「ちょ〜うまい」と感じているのを自覚している自分がいるのでしょう。
そのような自分を感じて、母に対して、故郷に対して、様々なことを筆者は感じたはずです。それを伝えるのが、この文章の主題ではないでしょうか。
もしそうだとすれば、この主題を伝えるために、「(泣)」が却ってじゃまをしていることに、たぶんあなたも気づくのではないでしょうか。
この主題を、豊かなものにふくらませるのには、最初の帰らなかった自分を、「笑い」という表現で、限定してしまわないことも有効に働いているのです。
「オフクロの味が、ちょ〜うまかった」を、「郷愁」と、一言で片づけるのも、あまり感心はしませんね。「故郷に対する言うに言われぬ複雑な思い」が、本当は、この文章を書こうとした筆者の胸には、あったはずだからです。
コメント
足跡があったので拝見しました。とても興味深いです。
以前私は、絵文字や顔文字を断固として使いませんでした。当時は中学生で、その理由も感覚的なものではっきりとはしませんでしたが、絵文字はどこか嘘っぽくて無性に嫌だった、ということは覚えています。しかし、文章の力だけで気持ちを伝えるというのはとても難しい事です。私も、格好つけていた割に当時の恋人には「メールが冷たい」と非難されまくりました。
問題は私に文章力がなかった事が大半ですが、Nekoさんのような文章力のある方に対しても「失礼ですが」のようなメッセージが来るということは、文章力だけの問題ではないようですね。
あくまで私の見解ですが、そう思われてしまう原因は「記号のない文章の記号化」であるような気がします。
日常的に顔文字や絵文字に触れている人は、顔文字、絵文字のない文章それ自体を「負のニュアンスを含めた記号」と認識しているのだと思います。
例えば、普段ごてごてに装飾されたメールを書く人が、急に記号を使わなくなったとします。するとそこには必ずと言っていいほど、怒りや悲しみ(あるいは無感情)などの負のニュアンスがあります。そういった環境に慣れてしまった人の中では、記号のない文章=負のニュアンス、という式が成り立ってしまいます。短文の多い私的なメールや、mixiなどのフランクな、常に顔文字絵文字が飛び交っている場所ほどその傾向が強く出る気がします。しかも相手を選びません。ですから内容云々ではなく、記号のない文章自体に不安を感じるのです。
>あなたの文章を読んでいると冷たい、嫌な気持ちになります。
この文章の真意はそこから来ているような気がしてなりません。
私も大学で友人ができた際、最初のメールはなるべく絵文字を使うように心がけています。「この人怒ってるのかな」と、いちいち思われてしまうのはめんどくさいですから、、、。
私が生活していく上では顔文字絵文字を使いたくはないけれど、便宜上使わざるを得ない状況も多分にあります。問題は、それらの状況をいちいち混同してしまう人が多すぎる、ということです。
長々と失礼致しました。
自分の感情を(笑)や(泣)で表現することのよしあしがわかりました。
僕は、それをよく使っていたのですが、あえて読者に想像してもらう書き方も意識したいなぁと思いました。
僕が、それらの記号を使いたいときは、自分のそのとき思っていた感情を読者にそのまま押し付けたいときですね。
逆に勘違いした想像をされたくないから、使っているのかもしれません。顔が見えない、短い文のやりとりだからこそかもしれません。
>>「(笑)」というのは、「もう五年も田舎に帰ってなかったことに、気づきもしなかった自分に対して、「何らかの感情を筆者が感じているよ」ということを、読者に伝えるための、照れ隠しの表現です。そういう自分を「笑う」というポーズ。
その結果、故郷に帰らない自分が薄っぺらくなってしまっています。
「作者の個性を感じ取りながら、読者に読み進めてもらう」ためには、そういう「笑い」に限定したポーズを出さない方が、読者が勝手にイメージをふくらませてくれるのではないでしょうか。
これは文章の中での(笑)だけでなく、日常会話でこの文章のようなことを話す時に少し笑いながら喋ることすらも否定しているように思えます。
あなたの意見が正しければ、会話で表情(顔の表情、声の表情など全てひっくるめた)を出す必要は全くなく、前後の文脈で推測すればよいのだということになります。確かにそうかもしれません。ですが、実際に私達は日常会話でこのような表情を用いています。今ネット上などで使われている(笑)などの表現は文章をできるだけ現実での会話のイメージに近づけるために使われているはずです。なぜそんなことが行われているのか。それは日常会話が人間にとって一番効率的な情報伝達の方法だからではないかと思います。もちろん、会話は情報伝達だけのためにあるのではありません。人間関係などにも深く関わってきます。そういった面など、全てを考慮した上で一番効率がよいのではないでしょうか?勿論、情報伝達だけを重視するのだったら表情などいりません。言葉だけで十分です。人間が「コミュニケーション」を行う上では表情が絶対に必要なのです。
高校で国語の教師をしています。・・・とのことなどで、
あえて書きます。一般の方のコメントでしたら、こんなことはイチイチ書きませんが・・・・。
>この元の文章では、「オフクロの味にほろっときた」自分は、「ちょっと笑えますね」というように、「ほろっと来た自分に対して、それを素直には示せないで、てらいを感じながら、斜に構えて見せているような雰囲気を、「(泣)」で、醸し出しているのです。
ここで使われている「てらい」ですが
Neko Fumio様は、「てらい=照れ」のように使われているように感じますが?????
「てらい=衒い」であり、照れたり恥ずかしがったりの正反対の意味ではないでしょうか??????
?
もしかしたら衒学的な高等表現、または、私が理解できないだけの暗喩なのかもしれまんが!
さらにそれに続く「斜に構えて見せているような雰囲気」もいただけません。
「斜に構える」は本来、「刀を敵に対して斜(なな)めに構える=正しい構えで、転じて物事に対して十
分に身構える、改まった態度をとる」という意味です。その後さらに変化し「物事に正面から接するの
でなく、ことさらずれた対応の仕方をする」場合にも使われており、辞書にも両方の意味が記載されていますが、「てらい」「斜に構える」の合わせ技で難解な文になっています。
ほろっと来た自分を、恥ずかしがって照れているのか?それとも、そんなどちらでもいいことを、ことさら、ひけらかし主張したいをおさえているのか????
さっぱりわかりません!!
言葉の乱れは嘆かわしいことですが、その焦点は上記のようなところにあるのではないでしょうか???
若者が多用する「!?(笑)」などは、俗っぽいスタンスでの文章表現であり、「国語のセンコ〜超うぜぇww」などは、卑語の口語表現なので両者とも『俗語、卑語として文法的に100%正しい』訳ですww。
>ジャガイモだらけの「肉じゃがかっ?」って突っ込みたくなるようなカレーって、本当に、「ちょ〜うまい」というような代物でしょうか。
筆者がグルメレポーターならば、「ちょ〜うまい」かどうか疑問に思えるでしょう。しかし、これはおふくろのカレーの味を客観判断し書いた報告書ではなく単なる日記です。本人が感じたならば、世界一としたって何の問題もないでしょう。
>本当に失礼ですが
を書かれた方の気持ちは十分理解できます。当然ではないでしょうか!
返答ありがとうございます
最初の方に書いて頂いていたので見過ごす所でした。
物事が起きると、同じ事でも人によって感じ方が違う。
それは、同じ人が居ないと言う事と同じ事ですよね
めるもさんの意見に同感したのですが、その時その時の必要に応じて
文章を丁寧にしたり、雑と言うのも変ですが軽い表現を使ったり出来ると
その方が「やるやん」と思うのは私だけでしょうか。
ネコ先生の日記ですので、丁寧に「?!」を私は使わないように書いてます。
私の日記でしたら、ガンガン使いますよ。
勉強になるのでネコ先生は面白いですね。
また来ます、失礼しました。
初めまして、Neko先生、足跡をたどってお邪魔しています。
(笑)という文字を文末に入れることについては、僕も違和感を感じていました。初めて送られてきたメールにこの字を見たときには、一緒に笑ってくれと言っているのか、こちらをこ馬鹿にしているのか、どう理解していいのか戸惑いました。しかも、仕事上の打ち合わせをしているメールの中にあったので、不愉快な印象を受け、その後もメールを送ってきた彼には好感が持てていません。
最初の印象が悪かったせいか、未だに私は(笑)という記号をmixi日記にもメールにも使ったことがありません。ただ携帯からメールを打たざるを得ない時には多くの文字は打てないので絵文字は使います。新しいコミュニケーション手法として、顔文字や絵文字や(笑)を他人が使う事にとやかく言うつもりはありませんが、これらの記号を使う事で伝えたかった思いが薄くなってしまうというNeko先生の意見には賛成です。
記号(?!笑 ww )を使って、余情を伝えようとするのはコミュニケーションをしようとしているお互いが同じ常識を持っているという事を前提にしているのだと思います。言葉に全て表さなくても分かるだろう。「俺とお前は仲間なんだから。」という仲間同士の絆の確認行為なのではないでしょうか。
空気読めといっているのと一緒で、空気が読めない相手=ハートが無い人 と思われてしまうのでしょうね。
Neko先生は高校で国語の先生をされているとか。
文章の書き方をスキルとして生徒達に身につけさせるというのはとても大事なことだと思います。私自身は高校時代、先生から文章の書き方の指導を受けた覚えがありません。先生の勝手な文学論に付き合わされる退屈な授業でした。文章の書き方は会社の昇進試験の論文のために独学で勉強し直したくらいです。
別に、仕事のためだけでなく、文章を書くというのは人生を豊かにする上でも大切な行為だと思います。
Neko先生のように文章の書き方を教えてもらえる先生に教わる生徒達は幸せですね。
足跡からお邪魔します。
今までの日記読ませていただきました。共感できる部分も、勉強になる部分も多数あり、興味深いと感じました。文章はとても読みやすく分かりやすいと思います。ただ、他の方のご意見にもあるように文章を書くということに対して、すこし堅い印象を受けます。
私は自分の書く文章に自信がないので、量をこなして上手くなりたいと考えていたので、先生のような方にコメントするのは緊張してしまいます。
でも、おっしゃるようにある程度意識して書くこと、また読み返して直すことにより、すこしずつでも上達していくことが出来ると思います。
顔文字や?、! などはインターネットのメールのやり取りで広がったものですが、顔も見えない相手に伝える手段としては、苦労せずして自分の感情を伝えることが出来るので便利だと使用しています。実際(笑)などを文末につけたほうが相手に「怒ってないよ」と伝えるときには簡単な手段です。もちろん、もっと長文で親切な文章を書けばいいことなのは分かっています。人は面倒な作業はなるべく省きたいと考えているのだと思います。
絵文字も同様で携帯メールでは多用しています。短い文字数で済んでしまうからです。もちろん使用するのはプライベートな親しい友人相手に限ります。
ただ、受け取る側にまわれば、あまり多用されると、いい印象を受けませんね。文章を書くことに手抜きをしているからでしょうね。
私はmixiの日記は「友人の友人まで」の公開にしています。たくさんの人に見てもらうことを目的にしていないからですが、いろんな人からのコメントに対応する自信がないからです。
友人に読んでもらうのが目的なので絵文字や顔文字など織り交ぜながら、自由に書いています。絵文字使用すると見た目に楽しいかなと思います。
先生の日記を読んで、すこしはまともに書いてみようかなと考え直しました。仕事でメール送ったり、プレゼン用の文書作ったりするときに普段からの練習、訓練が大切だと感じているからです。
ネチケットを守ってください。現実と同じようにインターネットにもエチケットとマナーがあります。
おふくろの味は心が和みます
ちょっとお休みしているあいだに、白熱していましたね。
波にのれなくて残念です。私は、こういう激論が大好きです。
絵文字については、前の日記のところへ書き込みさせていただきました。
NEKO先生が言われているように、絵文字も使い方ですね。
絵文字を殆ど使わない私の友達が、ミクシー日記に
「さくらさんが嫌な思いをするかなあとおもったけれど
でも、さくらさんならきっと許してくれるだろうと思い
あえて日記に愚痴を書いてみました」
というような文章をそえて、
私生活部分の私への文句を、全国ネットで長々と書いてくれたので、
こちらにお邪魔はしていなかったけれど、
同時期に同じ話題を考えていたのですね。
文句があるなら、今日会うんだから直接いいなよ。
携帯メールか、メッセージでもいいだろうに。
と、私は思い、そう伝えたところ、
「そうすると物申すみたいになる。それでは喧嘩ごしになるかもしれないし、
だから、ちょっとした感想みたいな感じであえて日記にした。
さくらさんが読んでなにかを感じたら
<あらあ悪かったねえ。ごめんごめん>と、日記に
軽くコメントをくれるだろうと思っていた。」とのことでした。
彼女の日記を読んだマイミク仲間や家族の反応ですが、
「彼女でも絵文字を使うんだね」
「絵文字で気持ちをごまかしているんじゃねえ」とか、さまざまでした。
絵文字に対する感じ方も人それぞれです。
彼女は絵文字を使うことで、
「わかってほしいな」と甘えたつもりだったのでしょうが、
彼女以外の誰が読んでも、私に対する戦線布告のような文章でした。
ネットに書くべき内容でないことを書くこと自体、
どんなに絵文字を入れても、
「物申す、さくらをやっつけたい的感覚は、他人に伝わるわけです」
それが他人に伝わることによる、
彼女自身への評価には気づいていなかったですね。
NEKO先生の文章に情感を感じない方もいらっしゃるのですね。
まあ、論文的な書き方ですから、情感はないかもしれませんが、
私は冷たさは感じず、逆に文章への熱いこだわりを感じていました。
この辺も、感じ方が違いますねえ。
書くべき目的、書くべき場所などにより、最低限度の配慮さえ忘れなければ、
どういう書き方をしてもいいと私は思います。
でも、長年、国語教育を受けてきたわけですし、どうせなら、
自分の思いをできるだけ正確に相手に伝えることができるといいと、私は思います。
そのためには、読み手側の反発心をあおらないほうがいいかもしれませんね。
理解しようと思って読んでくれないと、こちらの思いが届かなくなります。
NEKO先生に意見を言うときは、思ったまま述べても、暖かく受け止めてくださいますから、
辛辣なことも書いたりしますが。すみません。
これじゃあ、先に書いた私のマイミクさんと同じですね。
そのままの思いをそのまま書くということは、
結局、NEKO先生の器量に甘えているわけですから。
相手に感じてもらいたいのなら、そして相手の感じ方で話の方向をきめたいのなら、
言葉が足りなくても、絵文字だけでもいいと思います。
しかし、会話にしろ文章にしろ、できるだけ誤解なく伝えたい思いもあるはずです。
けれども、日ごろそういう訓練をしておかないと、
いざ伝えようとしても、簡単には表現できないと思います。
言葉を選ぶとは大変な作業で、相手に正しく伝わる言葉や文章を選ぶセンスは、
努力して育てていくものだと思います。
育てるとは、NEKO先生がいつも言われているように
深く物事を考えて、自分の意見をよく理解してから文章をかくことだと思います。
そういう努力を忘れないでいれば、きっと柔軟な気持ちで、
あらゆる文体、表現を使い、より伝達能力のある文章がかけるようになるのではないでしょうか。
文章が長くなりました。
えらそうに言ってるわりには、整理しないまま、書き込みをしてすみません。
返礼もなしに日記は二つも更新ですか?
足跡つけまくって、「在宅ワークで大儲け」って手法を見かけますが、悪意がないかのような振る舞いのNeko様のほうが、逆に悪意を感じます。
サーバーの負担軽減のためにも「文章を要約し伝える力」ことを生徒さんから学んでみてはいかがでしょうか?
「それでいいのか」
↑これだと要約のしすぎです。納得なのか、疑問なのか、反論なのかわかりませんね。文末に「〜」「?」「!」をたった一文字加えるだけで、ダラダラ説明することなく伝わり方が飛躍的に変わります。
冗長に書き連ねるよりも、要約し伝えコメント(反応)によって掘り下げてゆく方が合理的で近代的で能率的だと思います。さらに常識的でもあることを付け加えておきます。
サンタ まりぁさん
続きの日記を書かないまま、違う話題にしてしまったことは、お詫びいたします。この話題で、続きの日記を書くのはパワーがいって、ちょっと今の自分の状況では、無理なので、今書けるところから、書いています。
すみませんが、もう一回ほどは、自己啓発の話題を続けさせてくださいね。
もう一度、頭をさまして、書くことを整理して、?!については、私の考えを書こうと、今考えを整理しているところです。
これまでのコメントについても、書きたいと思いながら、書けないままにしているものがたくさんあって、皆様方には失礼しています。
その一言が頂けるならば、私は実直に非礼をお詫び致します。
Neko先生
私もこの日記の内容についてコメントしましたが、先生の興味が他のテーマに移られているのであれば、それはそれで一向に構わないと思っています。先生の気持ちにご負担をかけたくはないと思い、コメントしておきます。
温かいコメントありがとうございます。実はこの、(笑い)についての文章も、「抽象的思考」について書けなくなったので、場つなぎとして書いていて、ここまで長くなっています。
で、いけないとは思いながら、励ましのお言葉をいただいているのに、抽象的思考についてもなしのつぶて。
重要なことほど後回しにするのは、生き方の上ではよくないことだと思うものの、書く以上は、やっぱり、せめてきちんと自分なりに納得がいくところまでにはしたいと思って、このような事態になっています。
もちろん、この問題についても、抽象的思考についても、興味が移ったわけではありません。
もっとも、このようにして、何を書こうと思っていたのか、結局忘れてしまっているということも、このmixiの日記でもいくらかあるので、その節はご容赦のほどを。
皆さん、コメントありがとうございました。皆さんのコメントを受けて、やっと次の日記を書きました。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=787280539&owner_id=14874745