四回前の記事(https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1009206422&owner_id=14874745)で説明した、「書きたいことと、書きたいことに向かって文の要素がきちんと機能していること」の大切さを理解していただくために、三回前の記事(https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1011245098&owner_id=14874745)で讀賣新聞のコラムを題材として、例題を用意しました。前二回の例題解説に続き今回も、残ったコラムについて、文章の組み立てという観点から、見ておきましょう。
この話題の以前の記事
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合格すれすれライン
文章の構成1
文章の構成2
文章の構成3
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讀賣新聞コラム「編集手帳」より
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�V 2008.11.27
ヒノキ科の常緑樹、アスナロは漢字で「翌檜」と書く。あこがれのヒノキに明日はなろう、という意味の命名とも伝えられる。その人には、大関貴ノ花(故・二子山親方)が仰ぎ見るヒノキであったらしい幕内で最軽量の小兵ながら真っ向から相手に挑むところ、勝っても土俵の上で表情の緩まないところ、稽古(けいこ)の虫であるところ、なるほど貴ノ花に似ているモンゴル出身の関脇、安馬(24)改め日馬富士(はるまふじ)が大関に昇進した。まだ十両のころ、軽量の貴ノ花が強靱な足腰を頼りに大柄な北の湖や輪島と渡り合う姿をビデオで見て、「いつの日か、こういう力士に…」と志を立てたと聞く貴ノ花が引退した日、相撲中継で解説の玉の海梅吉さんが語っている。「精一杯重い荷物を背負って、下りのエスカレーターの階段を一段一段のぼるような、そんな努力をした男です」杉山邦博氏の著書「土俵の真実」(文芸春秋)の一節だが、体格の不利を稽古に次ぐ稽古で克服してきた翌檜にも、同じ階段が待っていよう。外国人力士であることをふと忘れ、古風な日本人に懐かしくも出会ったような…不思議な人である。
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このコラムはすばらしい
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このコラムは、一言、すばらしい。
「アスナロ」の話と、目指した先代貴乃花の話、それを目指す安馬の姿を重ね合わせている点でも、「外国人力士であることをふと忘れ、古風な日本人に懐かしくも出会ったような…不思議な人である」という、安馬の姿を描き出そうとする主題に見事につながっています。
コラムを書くほどの人は、もともと、知識と文章をつないでいく力にはずば抜けているのですから、変な飾りをしようなどというよこしまな考えは捨てて、きちんと言いたいことを見据えて文章を書けば、これぐらいの文章はすぐにできてしまうはずです。
これなら、70点どころか一気に飛び越えて、85点は付けてもいいですね。
気になるところもなくはないが
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まあただ、同じ作者ですから、「文章をとにかく飾ろうとする」そういう姿勢は、やはり少し気になるところではあります。
「その人には」と、後から書かれるもを指す指示語を使う所など、その兆候が出た箇所でしょう。
しかしこれぐらいなら、思わせぶりではありますが、「書く人の好み・個性」として、認めていくべき問題です。
それともう一つ、そのような兆候が感じられる箇所は、「体格の不利を稽古に次ぐ稽古で克服してきた翌檜にも、同じ階段が待っていよう」と言ったすぐ後で「外国人力士であることをふと忘れ、古風な日本人に懐かしくも出会ったような…不思議な人である」というような結論?を述べようとするところでしょうか。
これを意地悪く見れば、おそらく「気の利いたことをいろいろ言いながら、最後に決めぜりふを言って文章を締めくくろう」という、これまで見てきた�T、�U、�Wのコラムと基本的には同じ発想で構成した文章であると見ることもできます。実際、本当のところはそうなのかもしれません。
しかし、元の発想はどうであれ、できあがった文章が、「これから貴乃花のように一段一段階段を上るように精進していくだろう」という安馬の生き方を述べ、それを「古風な日本人に懐かしくも出会ったような…不思議な人である。」とつなげていると考えることができるものになっているので、結果的に救われているのです。
この文章も強力な連想力で、いくつかの事柄をぽんぽんとつなげていった技巧性の高い文章です。一般の人がこれをまねて文章を書いても、おそらく目指す物とは似ても似つかない物が出てくることが多いと思います。ですが、これだけ言いたいことに向かって、部品をきちんと並べているのなら、技巧も、内容を支える一つの手段として、有効に使える余地は、十分に考えられます。
コメント
どうでもいいことなんですけど
「まあただ、同じ作者ですから」
新聞のコラムって、毎日同じ人が書いてるんですか?
おそらくそうじゃあないですか。
新聞社の中でも、特別選ばれた人だと私は思いますが。
もしそうだったら、それって恐ろしいですね。
新聞って、読む人がたくさんいますから
その特別選ばれた人が書く内容が、社会にすごい影響を与えそうです。
今回の讀賣新聞コラムの内容を、いわゆる普通にしゃべっていて出てくる人であれば、敵無しでしょうね。何を言われてもへこたれない。そんな印象を持ちました。