前二つの文章の書き換えの元になった「読者に迎合しない」にいただいたコメントから、書こうと思っていたことを取り上げてみます。
「我々が普段見落としている、『売れている文章に込められている、何らかの意味で本質的な要素』の実例があれば教えてください」という質問がありました。
なかなか良い例が思い浮かばないで苦しんでいたときに、 ひまわりなつこさんが、とっても良い説明をしてくださいました。
「あなたかわりはないですか。日ごと寒さが〜」という歌がありますよね。
若い人は知らないかなあ。
着てはもらえぬとわかっているのにセーターを編んでしまう女心を歌うのですが。そういう行為をすることを、
作詞家は、「女心の未練でしょう」と、歌わせています。
曲の感じからすると、「未練でしょうか?」としたほうがはかなげで、大衆受けした演歌っぽい感じになるのですが…
実際カラオケで間違えてそう歌っている人も多いです。
きっとそのほうが一般的には共感しやすいのだとおもいます。
だけど、あえて、「未練でしょう」と、言い切った。
人から見てあほな行為に走るこの女の人をはかなく悲しく捉えたのではなく、わかっていてあえてする強さで歌わせているんですよ。作者は。
自分では、未練とわかっていて、無駄だと思っていても編む。
自分の悲しさを自覚する強さがこの女性にあるからこそ、
愛の深さが女の悲しさが返って感じられますね。
私流で解釈するなら、ヒットを飛ばすひとは、おくが深いなあと思います。
自分が伝えたいものが読み手によって(この場合大衆)揺らいでいないと思います。
この例の解釈はともかくとして、たった一語に込められたものでも、我々は多くの場合、そこに含んでいる重大な要素を見落としているということを教えてくれる良い例です。
一つの作品となると、ただ一語だけではなく、いろいろなところで、このようなところが出てくることになります。だから、我々が安易に考えてまねて作ったものが、似て非なるものになってしまうのも、よく分かりますね。
創作は、何も「深さ」を感じさせるのがよいとは限らない
以前私がここを書いたときに、「読者を引きつける、どこか奥深い要素」というような書き方をしました。しかし、このように「奥深い」というような、表現を使うと、私の思いが正確に伝わらなかったかもしれません。
「ものを考えない?中学生や、高校生に受け入れられる何物か」というのは、何もものをよく考えている人が、「奥深い」と感じる内容である必要は無いんです。よく売れているものを読んで、ちょっとましな文章を読む経験がある人なら、内容の浅さに閉口して見向きもしないようなものでもよいのです。それでも、文章経験の乏しい者は喜んでそれを手に取るとすれば、そこには何か、そういう人たちには受け入れられる本質的な要素を持っている。そのように考えるべきだと私は思います。
ちょっと例は違うのですが、テレビの「水戸黄門」を知っていますよね。あなたは好きですか。
あれ、文学が好きな人のレベルでは、「奥深い」などとはとても言えないでしょう。でも、何十年もみんなから愛され受け入れられている。毎日毎日再放送までされて。あんな番組は、他にはありません。
ということは、つまり、あの「水戸黄門」には、視聴者に受け入れらhttps://www.sakubun.info/?p=177れる何か本質的な要素があるということです。他の似たようなものは、それほどでもないのに、なぜか「水戸黄門」だけが、長寿番組である。このことをよく考えないといけません。
数年前、石坂浩二が黄門様になって、「水戸黄門」のイメージチェンジをはかったことがありました。「お銀」を「おえん」と名前を変え、現代ドラマ風に、「深さ」を求めようとしたんでしょう。
でも、彼が考える「深さ」というのは、たぶん偽物だったんですね。表面上をつらっと考えて、「深い」と思い込んだだけの偽物。だから、「大いなるマンネリ」の従来の「水戸黄門」にかなうわけがない。彼は、従来の水戸黄門の良さに気づかず、角(つの)を矯(た)めて、牛を殺してしまったのです。
だから、1期だけでやめになって、また、従来スタイルの里見浩太朗の「黄門様」に戻ったのも当然です。
今の「黄門さま」は、初期の頃の、「よい人間が全く死なないスタイル」とは、明らかに変質してきているので、その辺りは、私の好みとするところではないのですがね。
このようなことを考えながら、「読者に受け入れられる何か本質的な要素」について考えていくと、ただ「人間心理の奥深い洞察」を読者にそれと感じさせることだけがすばらしいというわけではないのが分かってきます。
何が読者の好みかを考えて、他人受けする作品を作るということは、このような、複雑で不可解な要素をきちんと捉えて、初めて可能になってくるのです。そんなことがあなたに本当にできますか。
浅い内容?の流行作家
「実際そのような文章を書いて、絶大な人気を得ている流行作家がいるのだから」というくだりを書いているとき、私の頭にあったのは、「氷室冴子」という作家でした。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の説明を読むと、「1990年代後半から目だった執筆活動はなされていない。」ということなので、もはや過去の作家のようです。
この彼女は、「『なんて素敵にジャパネスク』シリーズで集英社コバルト文庫の看板作家としての地位を確立。1992年には各種作品で合計600万部が売れている」、超売れっ子でした。これを、文学好きの元文学青年・少女が読んだら、どう評価するか。たぶん、無教養の人間に対するこびた、小説にもなっていない作品として、見向きもしないでしょう。でも、これが、爆発的に売れた。
確かに私などが読んでも、「人間の本質を捉えた奥深さ」など、文学好きが小説に求めるようなものは、ないかもしれないけれども、漫画的なおもしろさのような、また別の要素があるんですね。それが、読者を捉えて離さない。
大昔、この彼女の文章を、2ページほど読ませて、生徒に分析させたことがあります。そうすると、文体はおおむね「なんちゃって」というようなものなのだけれど、そういう文体しか書けない人では絶対出てこないような、様々な表現や言葉がかなり出てくることが分かってきた。つまり、きちんとした文章を書ける、かなり教養のある大人が、そういう文章を好む少年、少女達にメッセージを送っていたのですね。
彼女の場合、そのもくろみが当たって、大売れしたわけですが、それを真似る人たちは、そういう見かけの下に隠れている基礎の部分には思いが行かないから、表面上の文体や、内容ばかりを真似て、同じものを作った気になってしまうんです。でもこれでは、基礎となるベースが全く違うのだから、うまくいくはずはないのです。
今これを書こうとして、『ウィキペディア(Wikipedia)』を調べてみて、「当時の知的流行であった構造主義に傾倒し、志賀直哉の文庫本をバラして一日1ページのペースで一字一句の文章を解析する学究生活を送る。」という記述にぶつかりました。
私がこれまで何となく感じていたことを裏付けるような記述で、これを見つけたときは、「やっぱり」という印象でした。
コメント
Neko先生のイメージ写真の絵を見てまず感服。
私の急須の絵は、もう、幼児並ですね。でも、ちょっと味がありますでしょう。
なにを味というかは分析したくないですが。
一気に読みました。さすがって感動しました。漫画と比較しては、申し訳ないけれど、
まったく意味のないそして絶対ありえない展開に、わくわくしたり…そういうこともありますね。
でも、同じように好き勝手に展開したからといっても指示されないものもある。
水戸黄門の歴史は本当にすごい。
父にいわせると、あの決まったストーリー展開がなごむのだそうです。
安心して見れる。悪人役の顔ぶれもいつも決まっていますものね。
子供が小さいころ、同じアニメを何度も何度も見て、
ストーリーを覚えれば覚えるほどおもしろそうに笑っていたのですが、
子供というのは、自分の予測どおりに話が展開するとうれしくなるそうで。
だから、何度も何度も繰り返しみるのだと教えられました。
2歳レベルでは、読解力というのはまだ浅いだろうと思っていましたから、
だから、その説を信じました。
私が若いころは、自分では予測できない展開にわくわくして、
少し歳を重ねると論理的に予測できるものにわくわくして、
で、最近はあきらかに誰でもわかる話とか、
サスペンスの再放送を喜んで見ていることを思い出しました。
同じ作品でも、読む側見る側で、価値が違ってくるんだと思います。
そういえば、30歳まえは、ディズニーの「イッツアスモールワールド」なんて、
絶対に入らなかったけれど、最近は、何回も連続乗ってたのしみますからねえ。
あの、同じような展開にほっとまどろめる人間になったのでしょう。
はじめましてw
足跡を辿ってまいりました。
なにやら興味のある、といいますか、すごくわたしには関心があります。
ゆっくりと拝見させていただきたく想っていますので、またお邪魔させてもらえれば幸いです。
マイミクさんの日記に、ガンダムを作ったひとの講演内容が載っていて。
そこの一部分に気になる記述があったので、紹介します。
<僕にとっては「クレヨンしんちゃん」もポケモンも「ドンキーコング」も,それからマリオおじさんも,やっぱりすごいものだなと思います。それは,既成の文化論からちょっと頭を出したところにいるからです。そのことを分からないで,似たようなものを作って商売になると思っているならば,それはアホです。>
ひまわりなつこさん
私の似顔絵いいでしょう。まあ描かれた人物の中身は別として、絵そのもの。
職場の美術の先生に、えさにもならない賄賂を贈って、書いてもらいました。
昔、生徒に配るチラシか何かに、へたな絵を描いて、別の美術の先生に、「こういうのを『へたうま』の絵と言うんだ」と言われたことがあります。純粋に下手なだけなのですが、そこに味が出ることもあるんです。だから、そういう絵はそういう絵として、恥ずかしがらずに出していけばよいと、その時から、思うようになりました。
水戸黄門については、
>あの決まったストーリー展開がなごむ
というのが、よく言い表しています。だからいいのです。
石坂浩二の「水戸黄門」など、再放送しないだろうと、信じていたのですが、この間、やっていたのでびっくりしました。あれでも数のうちの一つということなんでしょうか。
>2歳レベルでは、読解力というのはまだ浅いだろう
子どもが好むものを見ていると、「読解力」などというものではないかも知れないですけれども、やはり「本質を感じる力」は持っていると思いますね。
そういうものは、やはり大人が読んでも面白いもの。
「ガンダムを作ったひとの講演」。私が言っていることと、全く同じですね。それが分からないから、みんな自分の書くものに、うぬぼれていられるのです。
ライラさん
ご返事が遅れましたが、よろしくお願いします。